●『みな殺しの拳銃』(67年)
解説・高鳥都(ライター)
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【日活ハードボイルドの極致、ついに復活】
長谷部安春とは日本屈指の「ハードボイルド」にこだわった監督である。その魅力が遺憾なく発揮された映画こそ1967年公開の第3作『みな殺しの拳銃』だ。主演は“エースのジョー”として日活アクションを支えた宍戸錠、相手役に“マイトガイ”こと二谷英明。ストーリーは三兄弟が巨大組織に牙をむくシンプルな展開であり、まったく男たちが画面の大半を占めている。
黒田、白坂、赤沢、紫乃、藍子、紺野、青木、金山、黄谷、灰原……色とりどりの名をもつ図式化されたキャラクターが陰影の濃いモノクロームの画面のなかキザなセリフを吐き、ハードボイルドな世界での役割を果たす。もとのタイトルは「みな殺しの唄」、クラブの歌い手役を兼ねたケン・サンダースのブルースや山本直純のジャズが報復まみれの全編に響きわたる。
まずファーストカット。赤沢興業のボス・赤沢(神田隆)から幹部の白坂(二谷英明)、黒田竜一(宍戸錠)へとワンカットの鋭いパンで三者三様の顔が映し出される。そしてスタティックな俯瞰のロングショットに「あの女の居場所を知ってるそうだな」──赤沢は己の情婦をかくまっていた黒田に、その始末を命じる。
黒と白を際立たせたタイトルバック、夜を車がゆく。ホテルの一室で待っていた情婦の顔もシルエット、黒田が戻ってくるや抱擁を交わすが、間もなく死出のドライブで消音銃の餌食となる。最小限のセリフとキメキメの構図、女ごと車を沈めたあと、もう一台の車がやってきて濡れた地面を照らす。白坂が黒田の仕事を見届ける。ひっそりと闇に浮かぶタイトルもキマってる。
「まさか、あの女を……」。情婦殺しを知った弟の英次(藤竜也)と三郎(岡崎二朗)は黒田を激しく責め立て、赤沢の非道に怒りを覚える。ボクサーの三郎は、赤沢に反抗的態度を示して、即リンチの刑。「今夜限り、赤沢興業を引かしてもらいます」。黒田はバッジを返上し、三兄弟と巨大組織による低温度の抗争が繰り広げられる。
宍戸錠と二谷英明、友にして敵となる安定感。日活たたき上げ藤竜也の血気、東映から日活に転じたばかりの岡崎二朗の哀切が寡黙な主人公を引き立てる。赤沢興業の幹部を演じた高品格、深江章喜に支配人の藤岡重慶と日活おなじみの顔ぶれも濃いが、異色のキャスティングにして目を引くのが赤沢興業のボスに扮した神田隆だ。佐藤栄作に似た恰幅のよさから政治家や社長、時代劇の悪役でおなじみの俳優だが、もとは東映の「警視庁物語」シリーズで主任を演じてきたキャリアの持ち主であり、日活における大ワルの役は珍しい。
しかし、70年代以降のどっしり黒幕仕事の先触れともいえる貫禄で三兄弟を向こうに回す。意外とあっけない死に様もふくめて、オール日活の活劇に楔を打ち込む。「あなたにとって赤沢という人は、きっとあたし以上の人なんだわ……」と白坂の恋人・紫乃(沢たまき)に言わせるほどであり、黒田と白坂の殺し合いに至るまで、赤沢なる“重し”がハードボイルドのキモとなる。
徹底した男の世界を貫いた長谷部安春は、1932年東京生まれ。日活の助監督を経て小林旭主演の『俺にさわると危ないぜ』(66年)でデビューするが、それ以前のキャリアが珍しい。早稲田大学卒業後、日活のアクション映画で活躍していた脚本家・松浦健郎に弟子入りし、彼の工房でシナリオ修行をしてきたのだ。やがて洋画のギャングものやハードボイルド小説を愛した男は、脚本に見切りをつけて監督を目指す。初現場は『これが最後だ』(58年)、26歳からの遅いスタートであった。
『みな殺しの拳銃』の脚本を手がけた中西隆三も松浦門下生であり、共同執筆の「藤井鷹史」は長谷部安春のペンネーム。下積み時代から長谷部は藤井名義で脚本を執筆しており、助監督のチーフを経験することなく監督に抜擢という異例のデビューを果たす。1作目の『俺にさわると危ないぜ』は都筑道夫のトリッキーなミステリ小説『三重露出』を大幅に改変した色あざやかなアクションコメディだが、もともと長谷部の初監督作として予定されてきたのは宍戸錠主演のハードアクションだった(「非常に暗い」という理由で見送りに)。
これまた小林旭の第2作『爆弾男といわれるあいつ』(67年)を経て、長谷部がみずからの嗜好を押し出した作品こそ『みな殺しの拳銃』というわけだ。盟友の中西隆三、そして念願の宍戸錠とコンビを組んだ。もはや不足なし。ヤクザではなくギャングと呼ぶにふさわしいクールな世界観であり、縄張りをめぐる血みどろの応酬の果て、赤沢は英次に(突発的に)射殺され、英次もまためった撃ちの銃弾を浴びて惨死。いわゆる“死のダンス”が白黒のコントラストに輝く。「とうとうお前とやり合うことになったな」──いよいよ黒田と白坂の最終決戦だ。
夜明けの東名高速道路、工事中の路上を横並びの10人が歩く。その後退ショットのなんとキマったことか。スタイリッシュなシネスコの構図を連発してきた本作を代表するショットである(撮影・永塚一栄)。鋭利な隊列はワンカットのなか黒田の銃弾によって乱され、一対複数の死闘が始まる。
ほとんど遮蔽物のない路上に赤沢一派は散らばり、どこに黒田がいるのか把握できないスリルが湛えられる。意外な場所に潜んでいた黒田と白坂の一対一になるまで、創意工夫のガンアクションが続く。そしてラストにはブルースが響く。1967年の宍戸錠ハードボイルド三部作──鈴木清順の『殺しの烙印』、野村孝の『拳銃は俺のパスポート』に次ぐしんがりこそ『みな殺しの拳銃』だ。興行は不発に終わったが、長谷部は日活ニューアクションの旗手へと成長する。
その後、長谷部安春×宍戸錠のコンビは『組織暴力 流血の抗争』(71年)を発表。日活がロマンポルノに転じた1971年以降、長谷部は各社のテレビ映画で活躍し、刑事ものや探偵ものなどブラウン管のなかで1時間に凝縮されたハードボイルドを送り出す。自身の組み立てた設計にこだわり、俳優のアドリブを嫌い、企画から携わった『あぶない刑事』(86〜87年)ではメイン監督として劇場版の1作目も任される。2009年に77歳で亡くなるまで現役で活躍した。
テレビでの仕事もあるが、あまり知られていない長谷部安春×宍戸錠のコラボレーションが日本ビデオ映画の『汚れし者の伝説』(91年)だ。藤岡弘と宍戸錠によるアクションVシネながらジャケットには「キャンペーンガール横須賀昌美 日本映画初の23分 衝撃のレイプシーンノーカット公開!!」と煽情的なキャッチコピーが添えられており、いかにも当時のVシネらしい猥雑さである。
さらに「監修:長谷部安春」「監督:深沢正樹」という奇妙なクレジットの『汚れし者の伝説』だが、その謎は10月4日発売の『日本昭和トンデモVHS大全』(辰巳出版)に収録された村西とおるインタビューで明かされている。仰天の裏側を活劇志向の長谷部がどう思ったか、当時のVシネらしいデタラメさが藤木TDCの取材によって掘り起こされた。
やや横道にそれたか。それはさておき、まさか『みな殺しの拳銃』より先に『汚れし者の伝説』がDVDになるとは思いもしなかったが、ようやく時代が追いついた。日本ハードボイルド映画の結晶、みな殺しの伝説がよみがえる──。