●『地図のない町』
  解説・佐藤利明(娯楽映画研究家)

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【寓話的構成による社会派ミステリー】



 ミステリー・マニアとしても知られる中平康監督が自ら企画した『地図のない町』は、シンプルな構成である。滝沢修演じる巨悪が支配する町で、苦しめられている住民のため、その横暴に立ち上がる正義漢・葉山良二の闘いを描く。物語の構図としては、小林旭主演の「渡り鳥」シリーズとよく似ているが、寓話的なプロットを、徹底的なリアリズムで、戦後の庶民たちが直面していた問題を絡めて描くことで社会派ミステリーの佳作となった。
 演出にあたり、中平康はこう語っている。「暴力団による不祥事は依然としてなくなっていない。それどころか、最近は法律の力を逆用した悪らつな暴力行為が激増しているかと聞いている。そんな場合、力のない善良で正直な市民たちは一体どうなってゆくのか。私はそれをギリギリの線で描いてみたい。人間がかつて法律を作り、今やその法律が逆に人間をしばってしまっているが、本当の法律とはそれでよいのだろうか。悪事を罰する法律はあっても、正直な善人を守る法律はない・・・と私は劇中で主人公に云わせているが、その狙いを暴力否定と共に作品の中で大きく貫き通してゆきたいと考えている」(『地図のない町』日活プレスシート)

 昭和31(1956)年、石原裕次郎の衝撃の主演デビュー作『狂った果実』(7月12日)で、華々しく監督デビューを果たした中平康。その前に、助監督身分のまま、映画テクニックを駆使したスリラー『狙われた男』(9月11日)を演出。その確かな手腕が、水の江滝子プロデューサーに高く評価されての『狂った果実』への監督起用となった。主演デビュー作が中平康監督だったことは、裕次郎にとっても幸いだった。それほど『狂った果実』はセンセーションを巻き起こしたのである。
 その後も中平は裕次郎とコンビを組んで、航空アクション『紅の翼』(1958年)を成功させる。昭和35(1960)年の傑作コメディ『あした晴れるか』(10月26日)もハリウッドのスクリューボール・コメディのような味わいで、裕次郎にとっても中平にとっても代表作の一つとなった。実は、その直前に、中平が裕次郎のために企画したのが、この『地図のない町』だった。船山馨「殺意の影」(角川書店)を原作に、橋本忍に脚本を依頼した。
 橋本忍は、黒澤明『羅生門』(1950年・大映)でシナリオ作家としてデビュー。『七人の侍』(1954年・東宝)など黒澤映画をシナリオで支えた名伯楽である。一方、今井正の社会派作品『真昼の暗黒』(1956年・現代ぷろだくしょん)や、松本清張ミステリーの映画化『張り込み』(1958年・野村芳太郎)を手掛けていた。
 社会派ミステリーの騎手・橋本忍に、中平は裕次郎映画の新機軸を目指して、自分が納得するまでの書き直しを依頼して、ようやくシナリオが完成した。この映画が作られた昭和35(1960)年、日活では裕次郎を中心に「ダイヤモンドライン」によるアクション映画中心にシフトしていた。裕次郎、小林旭、赤木圭一郎、和田浩治の四人のスター主演作をローテーション公開する「ピストン作戦」を展開していた。
 それゆえ、この『地図のない町』は、「渡り鳥」シリーズのように、正義漢が「巨悪と対峙する構図」とはいえ、社会派のテーマも含め、この年の裕次郎には相応しくないと上層部が判断。中平康作品ではお馴染みの葉山良二主演作となった。葉山良二は、昭和28(1953)年度「ミスター平凡」グランプリがきっかけで日活第2期ニューフェースとして入社。裕次郎の先輩スターでもある。中平とは『街燈』(1957年2月13日)、『誘惑』(同・9月22日)、『美徳のよろめき』(同・10月29日)に出演。『才女気質』(1959年4月15日)以来、久々のコンビ作となった。

 舞台は神奈川県川崎市東雲町(架空の地名)。多摩川沿いの工場地帯。戦災で焼け出された人々がそのまま住み着いてコミュニティを形成している。ロケーションは、川崎市鈴木町界隈。劇中、葉山良二と南田洋子が歩く川原には、「味の素」川崎工場の大きな建物がある。場所は川崎大師のほど近く。映画にはこうした時代の空気がパッケージされている。
 そこで貧しくとも逞しく生きる庶民たちを、小沢昭一、嵯峨善兵、三崎千恵子たちが賑やかに演じている。特に小沢昭一は、川崎競輪で予想屋をやっていて、客寄せにヘビを使って、まるでテキ屋である。のちに小沢は『競輪上人行状記』(1963年・日活)に主演するが、その監督・西村昭五郎は、本作のチーフ助監督をつとめている。本作で小沢昭一が着ているシャツの背中に「何妙法蓮華経」と書いてあるのがおかしい。その暮らしの住人たち。金はなくとも、仕事にあぶれても「明日は明日の風が吹く」とうそぶく。
 石原裕次郎のヒット曲であり、日活映画『明日は明日の風が吹く』(1958年・井上梅次)のタイトルでもあるこのセリフは、裕次郎主演を想定して書かれた「楽屋落ち」だろう。
 後半、東雲町の住人たちが宴会で「東雲節」を歌うが、この歌は映画の舞台を題材にしたものではなく、明治後期の1900年ごろ、添田唖然坊と横江鉄石が作った「ストライキ節」を元に、名古屋「東雲楼」で起きた娼妓のストライキを題材に歌ったもの。また熊本の「日本亭(のちに東雲楼と改名)」の娼妓たちの廃娼運動を歌ったものという説がある。いずれにせよ、この「東雲節」と、巨悪の妾となった南田洋子演じる加代子の悲しみを重ねている。この辺りは中平康の狙いだろう。
 さて、競輪予想屋・江田兼造(小沢昭一)の女房・おみね(三崎千恵子)が営む雑貨屋の二階に間借りしている医師・戸崎慎介(葉山良二)が、メスをケースに入れて、ポケットに忍ばせて出かけるところから物語が始まる。
 ミステリアスな滑り出し。慎介は町の映画館に向かう。ネオン瞬く夜の街では平尾昌晃の「ミヨちゃん」が賑やかに流れている。川崎の桜本商店街をセットとロケーションで再現。
その喧騒のなか、新聞記者・中塚(佐野浅夫)が声をかけてくる。設定では、慎介の中学校の先輩で、事なかれ主義の男であることがすぐにわかる。
 慎介が入った小さな映画館・オリオン座では、『地獄の銃火』(1949年・米・R ・G・スプリングスティーン・1952年11月日本公開)、ジェームズ・スチュワート主演『遠い国』(1954年・米・アンソニー・マン・1955年2月12日日本公開)の西部劇二本立てとニュース映画を上映中。慎介が二階への階段を上がると、次週上映作品として、ジーン・ケリー主演のシネマスコープ・ミュージカル『ブリガドーン』(1955年・米・ヴィンセント・ミネリ)のポスターが貼ってある。
 では洋画を上映中かというとそうではなく、なんと裕次郎の主演デビュー作『狂った果実』(1956年・中平康)がかかっているのだ。廊下に響く裕次郎、北原三枝、津川雅彦の声。本作での裕次郎主演は叶わなかったが、こうした形で裕次郎が特別出演しているのである。慎介は、映画館の二階の窓から、とある瀟洒な民家をみはるために、映画館に通っていたのだ。このトップシーンから、観客は引き込まれていく。
 その家にいる男が慎介のターゲットであることが次第に明らかになっていく。ここから回想シーンとなる。映画のクライマックスの始まりとなる映画館のシーンを見せて、そこに至る物語が回想シーンで語られていく。このスタイルは、のちに橋本忍脚本、小林正樹監督『切腹』(1962年・松竹)の構成のプロトタイプといえる。同じ構成の裕次郎の『夜霧のブルース』(1963年・野村孝)は、『切腹』で橋本忍と共同脚本をつとめていた國弘威雄がシナリオを担当。やはり本作と同じようにクライマックスの主人公の回想で事件に至る経緯が語られる。
 さて、本作の巨悪・梓米吉を演じているのは、劇団民藝のベテラン・滝沢修。老獪な市会議員にして、悪徳土建屋であり、暴力団・梓組の組長でもある。東雲町のスラム街を、二束三文で立ち退かせて、近代的アパートとスーパーマーケットを建てようとしている。しかも、慎介の幼馴染で恋人・小室加代子(南田洋子)を妾にしてしまう。さらに梓組のチンピラたちが、慎介の妹・戸崎佐紀子(吉行和子)を陵辱してしまった過去があるのだ。
 慎介は、妹のため、加代子のため、東雲町の住人のために、梓に闘いを挑んでいく。「渡り鳥シリーズ」における金子信雄のパートを滝沢修が演じているわけだが、その老獪さ、悪どさは、比ではないほど。さらに、梓組のやくざで、スカーフェイスの“キズ政”こと持田政雄(山内明)は、慎介の好敵手的なポジションとなっていく。「渡り鳥」の宍戸錠のパートである。
 さて、善良な市民たちのリーダー的存在となるのが、慎介の父の親友だった東雲町の診療所の医師・笠間雄策(宇野重吉)。この映画の“良心”ともいうべき頼もしき存在で、無頼の暮らしをしていた慎介の心の拠り所となっていく。
 クライマックス、果たして誰が犯人なのか? のミステリーと、その謎が明らかになるプロセス。中平康の「悪事を罰する法律はあっても、正直な善人を守る法律はない」の言葉が、どういう形で物語の決着をつけるのか? それは観てのお楽しみ!





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