●「猟人日記」THE HUNTER’S DIARY
  解説・佐藤利明(娯楽映画研究家)

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【至高のモダニスト中平康の世界】


 日活黄金時代を支えた才気の人・中平康監督。1956(昭和31)年、日本映画界初の女性プロデューサー・水の江滝子にそのセンスを買われて、助監督待遇ながらデビュー作『狙われた男』を手がける。銀座の裏通りをオープンセットで組み上げ、縦横無尽にキャメラを動かし、敬愛するアルフレッド・ヒッチコック監督を意識した技巧を凝らした撮影で、注目を集める。
水の江の指名で、デビュー作の公開前に手がけたのが期待の新人・石原裕次郎の初主演作『狂った果実』(1956年)だった。フランスの映画誌「カイエ・デュ・シネマ」でフランソワ・トリュフォーが長編評論を発表、クロード・シャブロルなどのヌーヴェル・ヴァーグの作家たちに大きな影響を与えた。
 戯作精神溢れる『牛乳屋フランキー』(56年)で「太陽族映画」のセルフパロディを試み、往年のフランス映画のような味わいの『街燈』『誘惑』(57年)や、京都の老舗の女将・轟夕起子たちが織りなす微苦笑の数々をスピーディなテンポで展開した『才女気質』(59年)などのモダンな作風は、60年以上経っても新鮮な味わいがある。
 石原裕次郎をトップスターにのし上げた功績を買われて、航空サスペンスの傑作『紅の翼』(58年)や、スクリュー・ボールコメディ『あした晴れるか』(60年)、怪我で8ヶ月の療養を余儀なくされた裕次郎の復帰作『あいつと私』(61年)の演出で高い評価を受けた。日活のトップスター映画も任される一方、文芸作、コメディ、ミステリーなど多彩なジャンルの快作を次々と手がけた。
 特に、冤罪の恐怖を描いた『その壁を砕け』(59年)や、不倫の人妻が強殺事件を目撃したために運命が狂っていく『密会』(59)年などのミステリーやサスペンスに佳作が多い。細かいカットのモンタージュで独特のリズムを作り出し、主人公が追い詰められていく心理描写には唸らされる。
 プログラムピクチャー全盛時代、抜群のセンスで娯楽映画にモダンなテイストをもたらした中平康の映画の魅力は尽きない。

【『猟人日記』のクールで耽美的な世界】


 『猟人日記』は、1964(昭和39)年4月19日に公開された。中平康としては、この年、加賀まりこのコケティッシュな魅力を引き出した『月曜日のユカ』(64年)に続く作品。   
 石原裕次郎や吉永小百合、宍戸錠のスター映画とは一線を画した作品群を発表したのがこの年だった。
原作は戸川昌子。商社の英文タイピスト時代、銀座の「銀巴里」の素人飛び入り企画で歌っているところを美輪明宏に見出されてシャンソン歌手となり、1962(昭和37)年、そのステージの合間に楽屋で執筆したミステリー「大いなる幻影」で第8回江戸川乱歩賞を受賞。続いて発表したのが「猟人日記」だった。
 性の不毛から、夜毎にターゲットの女性を漁り、そのプロセスを「猟人日記」にしたためていた主人公が、連続殺人事件に巻き込まれていく。センセーショナルな題材、意表を突く展開で、直木賞候補となり、ベストセラーとなった。
斜陽になりつつあった映画界がこの題材に注目したのは、テレビの普及やレジャーの多様化に伴い、従来の娯楽映画では観客動員が見込めなくなっていたことも大きい。日活でも男性観客を中心に、刺激的な題材の作品に積極的だった。日活宣伝部による『猟人日記』プレスシートには、『にっぽん昆虫記』(63年・今村昌平)、『月曜日のユカ』と同じ観客層にぶつける「『日活エロ路線』の自信大作」とある。また、『にっぽん昆虫記』にはじまり、『猟人日記』、『赤い殺意』(64年・今村昌平)、『肉体の門』(64年・鈴木清順)と続く日活の大作、とも謳われている。
 脚色は浅野辰雄。東宝争議前夜の東宝撮影所で助監督をつとめ、脚本家として、ジョセフ・フォン・スタンバーグ監督『アナタハン』(53年・東宝)ではスタンバーグと共同脚本を手がけ、市川崑の『わたしの凡てを』(54年・東宝)などを執筆している。日活では小高雄二主演『白い閃光』(60年・古川卓巳)、宍戸錠のアクション・コメディ『探偵事務所23 銭と女に弱い男』(1963年・柳瀬観)などを執筆。ミステリーも得意で、日米映画社と日本テレビが連作した『麻薬街の殺人』(57年)、『殺人と拳銃』『野獣群』(58年)では脚本だけではなく製作・監督もつとめている。
 音楽は『誘惑』(57年)、『才女気質』(59年)『あした晴れるか』(60年)などの中平作品を手掛けてきた黛敏郎が、『月曜日のユカ』に引き続いてクールなサウンドを展開してくれる。主人公は大学のコーラス部出身という設定で、ハントした女性とバーで「流浪の民」を歌う。ドイツ・ロマン派のロベルト・シューマンが作曲、エマヌエル・ガイベルが作詞をした合唱曲だが、石倉小三郎の訳詞と主人公の心象がリンクして、深い印象を残す。
 また、原作・戸川昌子の盟友である美輪明宏がゲスト出演、中盤に「銀巴里」で「孤独」(作詞・作曲:美輪明宏)を歌唱するシーンは貴重な時代の記録となっている。
 関西物産会長の娘婿で、昭和精機の電子計算機技師・本田一郎(仲谷昇)は、大阪に妻・種子(戸川昌子)を残して東京に単身赴任。丸の内のパレスホテルに住みながら、四谷の安アパートを借りている。その目的はガールハントだった。アルジェリア人・ソーブラと名乗り、カタコトの日本語で、次々と女性に声をかけ、ひとときの情事を楽しむ。その記録を「猟人日記」に記している。
 一郎が関係を持っていた極東生命のキーパンチャー・尾花けい子(山本陽子)が会社の屋上から飛び降り自殺。彼女は一郎の子供を宿していた。それでも一郎の「猟人」は続く。
 オールドミスのタイピスト・相川房子(稲野和子)に、映画館の前でアルジェリア人を装って、巧みに声をかけ誘い出す。房子と一郎が観る映画は、ジャック・フェデー監督の名作、マリー・ベル主演『外人部隊』(33年・仏)。パリからアフリカのアルジェリアに高飛びした主人公・ピエール・リシャール=ウィルムと一郎を重ねて、ロマンチックな気分になる房子。文学座の稲野和子は、都会の孤独を感じてその寂しさを一夜の情事で紛らわす房子を艶かしく好演。彼女はエキストラとして中平康の『アラブの嵐』(61年)に、同期の小川真由美と一緒に出演。『猟人日記』での演技が注目を集めて、中平は次作『砂の上の植物群』(64年)に抜擢する。
 ある日、かつて一郎の獲物となったスーパーマーケット勤務の津田君子(茂手木かすみ)が、錦糸堀のアパートで殺される。続いて、相川房子が自室で遺体となって発見され、一郎がハントした美大生・小杉美津子(高須賀夫至子)も殺されてしまう。関係を持った女性が次々と殺され、ついに一郎は連続殺人犯として逮捕される。
 映画の前半は、一郎が「猟人日記」にしたためるガールハントのプロセスが、官能的に描かれていく。最初の被害者・茂手木かすみは、回想シーンのストップモーションで描かれるが、彼女の置かれた状況や、錦糸町界隈の当時の場末感などが短いショットで巧みに伝えられる。インサートされる江東楽天地の「娯楽のデパート」のキャッチコピーが時代を感じさせてくれる。
官能的な稲野和子と対照的な美大生を演じた高須賀夫至子もアンニュイな魅力がある。俳優座養成所11期生の高須賀は、小林旭主演『波止場の賭博師』(63年・山崎徳次郎)でヒロインに抜擢された。このあと、渡哲也主演『赤いグラス』(66年)でも中平康作品に出演している。
 主演の仲谷昇は、1951(昭和26)年に文学座の座員となり、今井正『にごりえ』(53年・新世紀映画社)で映画にも進出。須川栄三のハードボイルド『みな殺しの歌より 拳銃よさらば!』(60年・東宝)や成瀬巳喜男の『放浪記』(62年・東宝)など各社の映画に出演。1963(昭和38)年、文学座を脱退して芥川比呂志、本作のナレーター・小池朝雄らと「劇団雲」を結成、劇団を維持するために積極的に映画にも出演。エキセントリックで倒錯的な主人公・本田一郎をクールに好演している。
前半、一郎がなぜ性的に倒錯していったのかを、回想シーンと仲谷昇のモノローグで綴っていく。週に一度、大阪の自宅に戻り、妻・種子との冷え切った関係が描かれる。原作者・戸川昌子は本作への出演をきっかけに、テレビドラマや映画にも進出。
タレントやコメンテーターとしてお茶の間でもおなじみとなる。夫・一郎の愛を受け入れられなくなった悲しい出来事。妻を抱く事のできない一郎が、なぜ「猟人日記」をしたためるようになったのか? そのドラマが後半の伏線となっていく。
そして後半、一郎の担当弁護士・畑中健太郎(北村和夫)が登場して、事件の核心に迫っていく。ここからミステリー映画として、謎解きの興趣が一気に増してくる。果たして真犯人は? 動機は? 畑中弁護士と助手・藤睦子(十朱幸代)が探偵役として、捜査を進めていくダイナミズム。これは冤罪をテーマにした『その壁を砕け』と同じアプローチだが、ミステリー好きの中平ならではの面白さに溢れている。
 十朱幸代は、前年に日活と本数契約。吉永小百合主演の『光る海』(63年)に続いての中平作品への出演となる。若い女性のセックスを赤裸々に描いた本作で、十朱の清純さが清涼剤的な役割を果たしている。この年『殺人者を消せ』(舛田利雄)、『敗れざるもの』(松尾昭典)、『黒い海峡』(江崎実生)と三本連続で裕次郎映画のヒロインを務めることになる。
また、日活第五期ニューフェイスから劇団民藝に移り『月曜日のユカ』に続く中平作品への出演となった中尾彬が、城東大学のインターンを演じている。
 『猟人日記』は観客にも批評家にも高い評価を受け、中平は続いて吉行淳之介原作『砂の上の植物群』(8月29日公開)、湊葉英治原作『おんなの渦と淵と流れ』(10月21日公開)をハイペースで発表。いずれも仲谷昇と稲野和子共演のセックスをテーマにした耽美的な佳作となった。
 1969(昭和44)年、香港のショウブラザースで、中平康が楊樹希(ヤン・スーシー)名義で『猟人 Diary of a Lady Killer』としてセルフリメイクしている。


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