『私が棄てた女』DVD発売記念 小林トシ江×原一男 対談
進行・文:島野千尋
■追いつめられて~小林的女優論
原:やはり是非お聞きしたいのは、自殺未遂の件。
小林:あははははは(笑)。
原:覚えています?
小林:覚えているっていうより、あれは私のノイローゼですよ。
原:ノイローゼと言っても、あの落ちるシーンだけがきっかけではないでしょ?積み重ねがあって…。
小林:積み重ねがあったけど、落ちるシーンさえ出来れば、あとは成城の桜の下の楽しいシーンだけだから、これだけのスタッフがいるんだから、何とかしてくれるだろうと思って。それでノイローゼになっちゃたんで、どっかに行っちゃたんですよね。
原:ノイローゼって、あのシーンが終わってからですか?終わったら解放感があって…。
小林:解放感なんてないですよ。自分は出来ていないという思いばっかりです。
原:OKが出ても出来ていないって思っちゃったんだ。でも実際には出来てる。
小林:今見るとそうなんでしょけどね。その当時は「これは違う。私は出来なかったんだ」って。だから世の中から色が無くなりましたね。そういう体験って、皆さん、無いですか?
原:ないない。そこまで追い込まれたことがない。
小林:まったく色が無くなる。白黒になる。これは駄目だと思って、生きてても仕様がないと思って。
原:それで意識がないまま、千葉でしたっけ?
小林:銚子です。犬吠埼。私はああいうダイナミックな波が好きなんですね。だから、そこに行ったら、少し慰められるかなと思ったりしたのかもしれない。
原:薬を買って薬を飲んだと。
小林:はい、飲みました。場所とか忘れちゃいましたけど、銚子の汚い旅館でした。
原:薬の量が少なかったから助かったの?
小林:そうじゃないですかね。女中さんが変だと思って見に来て。何で女の子がひとりで…と思ったのかもしれない。
原:病院かどこかに運ばれたの?
小林:気づいたら留置所。
原:留置所?!何で?
小林:旅館が警察を呼んだんじゃないですか。
原:身元引受人が必要でしょ?
小林:両親がすっ飛んで来ました。
原:両親はびっくりしたでしょ? 理由を聞いたりとか。
小林:何も言わない。「大丈夫か?帰ろう」って。
原:うわぁ、そのエピソードが泣ける。映画も泣けるけど。帰宅してから、数日はどうしていましたか?
小林:寝ていましたね。それからどれぐらい経ったか分からないんですけど、あの成城のシーンが撮れるかもしれないからって連絡があって。私も大丈夫だと思って行って、成城の桜の下で夏海さんと。あれがラストカットだったんです。あの綺麗なお家は司洋子さんのお家で。
原:自殺未遂の後、誰かスタッフは見舞いに来るとか。あってもいいようなものの。
小林:だって、そんなの誰も知らないでしょ?
原:いや、皆、知ってますもん。助監督の小原さんなんて、死んだという連絡があって、それで浦さんに「どうしたらいいですか?」と尋ねたら、「ほっとけ」って。
小林:そういう人ですよ(笑)。
原:浦さんってもう少し優しくて、良い印象があるんだけど。
小林:本当は優しいんだけど、照れ隠しなんですよ。
原:そうなんですか?照れ隠しでは済まないような話。
小林:それが浦さんなんですよ。本当は凄く私のことを好きでいてくれたんだと思うの。だけど、私はどうしても合わないところがありましたね。
原:何が合わないんですか?
小林:素直じゃないもん。
原:いじくれてるもんね。ひねくれてるっていうか。
小林:私がいくら素直にしようとしても、絶対に素直に対等にならない。話をしようと思わない。どんなことでも。それが嫌でしたね。
原:でも誇りが高いでしょ?それにコンプレックスがあるでしょ?それでねじくれてるんじゃないかなっていう印象がありますね。才能はあるんですけど。
小林:才能はありましたね。
原:どういうところに感じるんですかね。
小林:やっぱりね。その細かいディテールがね。今の監督にしても役者にしてもそういうのは出来ない。だから、一番浦さんに言われたのは、役者がそのシーンに立った時に未来と過去が分かるような役者にならないと駄目だって。
原:そういう言い方するんですね。
小林:この女はどっから来て、これから先どうなるかって。それが今、その場所にいるんだって。それが出来なくちゃ駄目って。
原:映画の理論的なことでしょ?映画理論みたいなことを浦さんは実に的確なんですよね。私も随分教えられたようなことがいくつかあります。そういうところが見事だよね。
小林:そういうダメ出しをするような監督はいないですよね。
原:いないと思う。
小林:おそらく監督自身が分からないじゃないかなと。私の方が分かるよって思っちゃったりして、アハハハ(笑)。だから私はそういう注文が無くても出来るだけ未来と過去が、今立っているところで表現できるように、台本を読んでやっていこうと思っているんです、今でも。それは浦山さんに教えて頂いた最大の宝ですね。
原:浦さんって酒を飲むまでは大学の先生みたいに自分の教養を、誇らしげっていうことじゃないけど、自分が知っていることは教えてあげるっていうか。ただ酔っぱらったら…一緒に飲んだこと、ありますか?
小林:年中ですよ!
原:飲むのに付き合わされる?
小林:そうですよ。家にいたから。
原:豹変するんですか?
小林:豹変もいいところ(笑)。途端にね。飲んでるでしょ、そうすると急に「お前!!」って始まるの。変わったな、もう駄目だ、って。
原:完成試写を観たのを覚えていますか?
小林:日活の試写室で観ました。私は椅子の下に隠れてしまいました。観ているうちに椅子から沈み込んでしまって。恥ずかしかったんですよ、やっぱり。結局、その時は観なかったですね。
原:でも周りからいろいろ評判は聞こえてくるしょ?
小林:一番印象に残っているのは、イマヘイさん(今村昌平監督)かな。「もっとぶっ壊れても良かったけど、とにかく頑張ってよくやったな」って。「もっとぶっ壊れても良かった」って(笑)。
原:監督って残酷なことを言うね。過酷って言うか。
小林:特にあの二人(浦山桐郎と今村昌平)はそうですよ。だから「ありがとうございます。今村先生に褒めて頂いて」って。私の劇団が渋谷にあったんですけど。そこによくお二人が遊びに来たんですね。イマヘイさんも露口茂さんとか劇団の小沢昭一さんとか、皆、よく知ってたから。今村さんは沖山秀子さんみたいなダイナミックなぶっ壊れた人が好きじゃないですか。私、あそこまで壊れてなかった。でも沖山さんも大変だったですね。
原:この作品で賞をもらったりした?
小林:読売新聞最優秀女優賞に選ばれました。読売新聞に私を凄く気に入ってくれた人がいて、その人が編集部にかけあってくれて、大きな記事にしてくれて。
原:受賞して、苦労の一端が認められて、自分で自分を褒めてあげるとか、そういう意識もない?
小林:(きっぱりと)ないです!だから私、今の若い女優さん、褒められて恥ずかしくないのかって。あれ、芝居じゃないでしょ?
原:言いたいこと、よく分かります。すぐに持ち上げますからね。あれ、良くないですね。
小林:良くないです。絶対良くない。本当に女優だったら、この人だったらいいかなっていう人、いませんね。生意気な意見ですけど。役者ってそんなに簡単に思われちゃ困りますよ。これ、書いちゃうの?嫌だ~!
―もちろんですよ。この作品を見せたら、反論できないですよ。
「ずいぶん早く死んじゃったね」と浦山監督の写真に声をかける小林
■謎のパートカラー
―最後の前衛的なシーンですが、画面に異なるカラーを付けたりとか、技術的には大変だと思うのですが。モノクロのシーンがあり、過去の回想は青っぽくて、相馬野馬追のシーンなどはカラーで。浦山さんはあのようなアヴァンギャルドな素質が結構強かったのですか?
原:いやいや、そんなことないですよ。浦山さんじゃなくて、今村さんの思想の中にあるんです。ラストに主人公の方向性を整理しないといけない。「リアリズムで描いて、最後はシュールにならないといけない」という考え方を基本的に持ってるんですよ。そういう影響があるということと、作家の長部日出雄さんが言っていたけど、浦さんが海外に行って、ヴィットリオ・デ・シーカのようなシュールな作品を観て、打ちのめされて、それ以来、自分も取り入れるようになった。ところが浦さんのシュールは「未分化」っていうのか、こなれていなくて、生のイメージそのままを使っているから、ダサい、と。
小林:そうなんですよ。だけどどうしてもラストの吉岡のイメージを撮りたかったらしいですよ。
―シュールなんだけど、スタイリッシュじゃない(苦笑)。
原:シュールに描きたいんだけど、そもそもシュールっていうセンスがないんだよ、浦さんは。観念しかないからカッコ良くないんだよな。ラストの機動隊の出し方とか、お面をつけて…噴飯ものじゃない(笑)。今までのトーンとまるで合わないじゃない。浦さんはそういうセンスがないんだよ。
―でも入れたかったんでしょうね。
原:本人は一生懸命頑張ってやったんだよ。
小林:浦さんはそういう洒落っ気がないですよ。
―真っ白な顔をした吉岡にはびっくりした。
原:だからさぁ、そういうセンスがないんだけど、やっぱり憧れてるんだよ。
小林:やってみたかったのよね。
―時代的に同時代の作家がシュールになっちゃってることで、浦山さんもああなっちゃった…。
原:イマヘイさんから学んだこととイタリア映画の影響ですよ。所詮自分にないものを。
―自分にないから、ああなっちゃった(苦笑)。
原:この違和感、何なんだよってぶち壊しやん。
小林:あのシーンの前で切っちゃえって皆、言ってましたよ。
―映画会社が怒ったっていう話ですよね?
小林:あのシーンを切っちゃえ、そうしないと上映させないぞ、って。
―無くても、十分良いのに…。
小林:「俺はどうしても入れる!」って頑張ってたの。
―やっぱりあのラストシーンはおかしいなぁ。
小林:皆、思いますよね。
原:しようがないじゃん。
―残っちゃったんだから。
原:やりたかったんだから。
小林:最後に馬が2頭走ってきて、私と浅丘さんが「絞って~」って。あのシーンもおかしいですよね?「どうしてですか?」と浦さんに聞いたら、「いいんだ、やれ!」って。私にはそれしか言わない(苦笑)。
―まぁ、最後にカラーの浅丘さんを見ることができたし(苦笑)。
小林:綺麗ですよね。スッピンになって出てきて。とってもチャーミングだなぁと。
―今観ても、本当に面白い作品ですよね。
小林:絶対飽きない!
-あらためて浦山監督を振り返ると
小林:本当に浦山さんってツイていないというか、運がない人なんだなぁ。男性友達の作り方が下手っていうか。だって権力がある人を必ず蹴飛ばすでしょ?もう少し力を持っている人と適当にお付き合いすればいいのに。できない人なんですよね。腕はあると思うんですね。演出力もあるし、だけど時代からはみ出ちゃったような。
原:時代がどんどん変わっていきますからね。
―ボロカスにおっしゃった今の役者さんに観て欲しいですね、教科書として。
小林:観て分かるかな。今、浦山さんの演出にきちんと応えられる役者っているのかなって思っちゃいますね。観たら自分が恥ずかしくなると思うけどね。
(2019年8月収録)
浦山桐郎監督を思う
文:原一男
私が浦山監督の助監督としてついた現場は、わずか「太陽の子(てだのふあ)」(灰谷健次郎原作)の1本だけだ。浦山監督から教えてもらったことは、たくさんある。浦山リアリズムをもっと教えて欲しかったのだが、寡作ゆえに、これ1本で終わったのが口惜しくてならない。
「原よ、たとえ画面に映らなくても、この人物は、今、いくらのお金を持っているのかを、必ず考えておけよ」と言われたことは、その一つ。言われた時、うーん、なるほど、これがリアリズムなのだ、と唸ったものだ。
その浦山監督。「映画監督には二つのタイプがある。一つは教育者的な資質を持ったやつと、そうじゃないやつ。俺は、もちろん前者だ」と威張っていた。まさに、本人がいう通り、浦山監督ほど教育者というイメージがストレートにピッタリ似合う監督は、ほかにいないと思ってる。が、それは酔っ払っていないときに限る。少しでもアルコールが入ると、その印象は豹変する。私が撮影助手として着いた現場での一幕だ。浦山監督の親友である野坂昭如を主人公にした、あるテレビ局のドキュメンタリー作品の現場でのことだ。その日の撮影が終わって二人で飲み始めた。酒乱同士だ。酔いがまわるのも早かった。ハラハラしながら見守っていると、「俺のチンポの方がお前のチンポよりでかい」「いや、俺の方がでかい」「じゃ、見せてみろ! 比べてみようじゃないか」「おう、見せてやる」と二人して、互いに、逸物を引っ張り出して見せ合いっこを始めたのだ。実は、その模様をカメラマンは撮影していた。私が関西テレビから依頼を受けて演出した『映画監督 浦山桐郎の肖像』の時に、その映像を作品の中に挿入したくて、そのフィルムを探したが、残念ながら見つからなかった。いや、たとえ見つかったとしても、そのような映像が、そのまま使用できたかどうか、心もとないのだが。
そのテレビ作品を作ったことで、浦山作品について深く考え、分かったことがある。映画監督が登場人物を描く時に、自分の体験、人生をその登場人物にイメージを重ねて造形していく、ということは、観念的には理解していたが、浦山監督の全作品において、それが徹底していたことには、驚いた。父親の自殺。実の母親が浦山監督を産んですぐ産褥熱で死亡。そのあと母親の妹が、義母になり、二人とも美しい女性だったが、二人の母親へ対する深い思慕。それら浦山監督の人生が色濃く、どの作品にも塗り込められているのだ。中でも、『私が棄てた女』は、二人の母親を通して、もっと深く、日本の庶民の女の原像に迫る傑作であった。浦山監督は、日本の女の原像を描くために、主人公の女を演じた小林トシエを自殺に追い込むほど執念を見せた。浦山監督の全作品は、私映画である、と言ってもいいくらいに徹底していた。浦山監督の兄貴分の今村昌平はすでに世界的巨匠として評価が定着しているが、浦山監督も、もっと世界から評価されてもいいのに、と思う。