DIGS-1067
◎愛した男から棄てられ、社会からも棄てられる女の姿は聖母もしくはキリストであるともと言われる。映画で痛烈に描かれているのは強烈な断罪のドラマか、許容のドラマか
◎人間の深部に迫る暗鬱としたモノクロパートに挟み込まれる幻想的なカラーパート(SF!アヴァンギャルド!)の対比的美しさは特筆!
◎学生運動に挫折し体制に奉仕することになり日々葛藤する男を見事に演じる河原崎長一郎、心身ともに追い込まれながら体当たりの演技で奮闘する小林トシエ、神々しすぎる美貌と本映画のテーマを裏でリードする難しい役どころの浅丘ルリ子、あまりにも武骨すぎるキスをする加藤武、そして原作者遠藤周作のカメオ出演らの演技にも注目。
◎1969年度キネマ旬報ベストテン2位
◎後に『愛する』(監督:熊井啓/1997年)、『天使の肌』(監督:ヴァンサン・ペレーズ/2002年/フランス)としてリメイクされる。
【スタッフ&キャスト】
監督:浦山桐郎 原作:遠藤周作(「わたしが・棄てた・女」) 脚本:山内久 音楽:黛敏郎 撮影:安藤庄平 照明:岩木保夫 松下文雄 録音:紅谷愃一、神保小四郎 美術:横尾嘉良、深民浩 編集:丹治睦夫 助監督:斎藤光正(『戦国自衛隊』) 製作主任:長谷川朝次郎 スクリプター:中川初子
出演:河原崎長一郎、浅丘ルリ子、小林トシエ、小沢昭一、加藤武、辰巳柳太郎、加藤治子、夏海千佳子、佐野浅夫、露口茂、大滝秀治、江守徹、浜村純、遠藤周作 他
公開年:1969年
※「浦山桐郎監督全作品が「私映画」であることを喝破している観客が、どれほどいるだろうか? 美しい実母の産褥熱による死、義母もまた美しい人だったが、その義母に寄せる思慕、父の自殺。浦山監督の人生のドラマがそれぞれの作品に散りばめられているのだ。中でも『私が棄てた女』は、浦山監督自身の鬱屈した青春を描いた最高の「私映画」の傑作である。主人公を演じた河原崎長一郎は、髪型や仕草まで若き浦山監督に瓜二つだそうな。」(映画監督・原一男)
◎エピソード
◆テレビドキュメンタリー『浦山桐郎の肖像』(演出:原一男/1997年)によると、浦山桐郎はこう言っていた。「ミツは全許容する女だ。全許容する女は生きてはいけないということを世間に示す必要がある。それはぶざまな死に方をさせなければいけない」と。
◆テレビドキュメンタリー『浦山桐郎の肖像』(演出:原一男/1997年)によると、『非行少女』撮影時に浦山はスタッフに「芝居が変わるから和泉雅子の処女を奪え。(和泉の)お母さんの方は私が引き受ける!」と言い放った驚きの演出エピソードを残している。
◆浦山桐郎の頭の中には明確な森田ミツ像があり、それを演じる小林トシエ(現小林トシ江)にはかなり高い演技を求められることになる。そのため、浦山の演出はシゴキ以上の厳しいものであり(共演者もドン引きするくらいの)、小林の肩は外れ、足にはヒビが入ってしまう。そして、極限まで精神的に追い込まれた小林は自殺未遂を図る。
◎ロケ地:東京都品川区(五反田)・世田谷区(成城学園)・台東区(上野動物園)/神奈川県葉山町・逗子市/福島県
©1969日活株式会社/発売元:DIGレーベル
推薦コメント〉
あの男は満員の痴漢電車の乗客だった。車内エキストラのくせに「この後、撮影をを見学してもいいですか?」と終日撮影にまとわりつき、いつの間にか獅子プロにもぐり込んでいた。普段はマジメで寡黙・が・酒が入ると訳のわからぬ大法螺吹きに大変身、失敗多数。つくづくアウトプット下手なれど、思いを打ちまけたデビュー作で見事に意気衝天!
観る側にもエネルギーを求める佐藤寿保映画の初号試写で感心したことを思い出した。
滝田洋二郎(映画監督)
20才代の頃、佐藤寿保さんの映画の助監督をつとめた。ツラかったが、なぜか嫌な思い出じゃない。どちらかというと自慢したい。佐藤寿保さんは変わらない。「止まっているってことと、変わらないってことは違うんだ」寿保さんのことを考えるといつも故PANTAさんの言葉を思い出す。羨ましいと思う。その原点である映画が新たに陽の目を見る。祝福です!
瀬々敬久(映画監督)
ピンク映画はセックスではなく不能と鬱屈を描くものであり、鬱屈と暴力は若者の特権だ。『激愛!ロリータ密猟』の誰よりも深い絶望は、いまなお我らの胸をかきむしる。
柳下毅一郎(映画評論家/翻訳家)
嫌な気持ちにさせてくれるディテール。しかし気づくとスッキリさせてくれる。ざっくりと言えば「ヒドイ」映画なのだが、この『激愛!ロリー密猟』の場合それが最上級の褒め言葉にいつしか化けてしまう、とにかくヒドイ映画。必見!
根本敬(特殊漫画家)
この映画を観て映画制作を志したと云っても過言ではない名作中の名作。
小林良二(映画プロデューサー)
コンプラ遵守、ジェンダー平等、ハードコア・ポリコレな21世紀の現代に、時空の裂け目が生じ、20世紀の闇から堕ちてきたピンク色の歪な残像!!!!! こんな奇想の封印を解くなんて、不適切にもほどがある!!!!!!!
宇川直宏(“現在”美術家/DOMMUNE主宰)
陰鬱とした狂気が棲む地下の部屋。新宿の強烈な眩しさ。赤いハイヒールに流れる血。シャッターを切り自ら脱ぐ伊藤清美さんに全身をぶち抜かれた。この作品を見たばっかりに、佐藤寿保作品を求めいまだ亡霊のように彷徨い続けている。
遠藤倫子 (映画zine ORGARM発行人)
私には「死んだら棺桶に入れるものリスト」がある。
そこにこの映画のタイトルを記す夢が叶った。
だからもう、いつ死んでもいい。
シブヤメグミ (バー浮かぶ・二代目店主)
淫乱と暴力と初期衝動!
ノイズやパンク、ロックに造詣が深いところにも衝撃を受けました。
そんな寿保監督のデビュー作が家で観られるなんて!
中原昌也(ミュージシャン/文筆家/映画評論家)
孤独で混乱した精神の前に、無邪気な人々が行き交う雑踏のどれほど残酷なことか。1985年、バブル直前の新宿に、決して救われ得ない2つの魂が交錯するとき、血と淫欲が〈イノセンス〉を塗り潰す! 身を立て! 名をあげ! やよ励めよ! 真の解放はいつも、血まみれのイニシエーションの先にしか残されていないのだから。
髙橋ヨシキ(アートディレクター/映画評論家/サタニスト)
私が20歳だった頃の新宿が舞台。毎日のように新宿にいた頃。観ているうちに当時の頭の中をのぞいているような気分になった。不安と根拠のない自信のカオス。ラスト近くのヒロインが不思議な美しさだった。
古市コータロー(ミュージシャン)
かつてピンク映画館なるものが街中にあった頃、青少年たちは自分の内に秘めた性衝動を、暴力を、妄想を、青暗いスクリーンの中に投影させていた。
じっとり湿ったシートを、男女のまぐわいを照らし出すぼんやりとした映写機の明かりを、そのやりきれなさを。
すべて爆発させるために、パンクするしかなかった。
映画館を、新宿を、狂った触覚がパンクする。
松永天馬(ミュージシャン アーバンギャルド/松永天馬のA研!)
薄暗闇が終始美しい映画だった。裸電球と炬燵の光に晒される素肌と陰影。ココロとカラダを温めあうのが下手くそ過ぎる悲しい人間たち。誰もいない夜明けの新宿通りのカットはハタチの時の自分の視線ではないかと錯覚した。
宙也(ミュージシャン アレルギー/De-LAX/LOOPUS)
デビュー作にして、すでに寿保度数120%の傑作! 瑞々しいボーイミーツガールの物語を、問答無用の過激な暴力と流れ落ちる血の鮮烈さが彩る。ゲリラ撮影の80年代新宿の、人が溢れながらも冷ややかな光景が最高!
真魚八重子(映画評論家)