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いま、映画『小林多喜二』が訴えるもの
今井正監督がこだわったこと

『小林多喜二』はいわゆる伝記映画のようなものを想定して観ると、むしろ非常に実験的ですね。横内正さんが多喜二の人生をギターで弾き語ったり、時制が頻繁に前後したり……。

山本 ええ、当時としては珍しいつくりだったと思います。横内正さんの弾き語りが入ることについては、シナリオを読んだ時点では違和感があって、正直「これはどうなんだろう?」と思っていたんですよ。ところがいまあらためて観直してみると、印象が全然違って、映画のトーンにピタッと合っているんですね。

この演出が、映画をお行儀のよい伝記映画とは一線を画すものに仕立てていると感じました。

山本 横内くんは非常にノッてやっていて、よかったですね。

田口タキ役の中野良子さんとのラブシーンの初々しさも心に残ります。

山本 砂浜に大仏の顔を描くシーンは新鮮でしたね。今井監督としては「多喜二の明るさを描きたい」という思いもあったようですから、そういう面がよく出ているシーンだと思います。

『また逢う日まで』(1950年)のガラスごしのキスが有名ですが、ラブシーンにおける今井監督の趣向というのも興味深いですね。一方で、さきほどの拷問シーンのように、凄惨な描写に関しては容赦ない。『武士道残酷物語』(1963年)などがよい例ですが。

山本 『武士道残酷物語』では、僕の首が斬り落とされてゴロンと転がるシーンなんかを丁寧に見せていますしね。意外とそういうこだわりは強かったですね。『小林多喜二』の拷問シーンでも、さんざん痛めつけられたあとに、今井監督がそっと近寄ってきて、「もう一回お願いします」とささやくんですよ。あのささやきは忘れられない(笑)。

今井正監督というと、戦後の『青い山脈』(1949年)以降のイメージで語られがちですが、戦時中には『望楼の決死隊』(1943年)のように体制翼賛的な映画もつくっていますね。これについて、今井監督は「僕は、学生時代、左翼運動をやって何回かひっぱられたあと、転向手記を書いたし、戦争中には『戦争協力映画』と言われても仕方ないようなのを何本かつくっている。そのことは、自分の犯した誤りの中でいちばん大きいと思っているんです」(「戦争と占領時代の回想」、『講座 日本映画』第4巻、1986年)と語っています。こうした証言を読むと、今井監督の作風は、イデオロギーありきではなくて、むしろ自身をふくめた戦前から戦後への思想的変遷に対する悔恨や再検証から出発していることがわかりますね。

山本 それは山本薩夫監督もそうだったんじゃないかと思います。今井監督は薩夫監督の数年あとにPCL(構成者註:東宝の前進。今井は京都J.O.スタヂオからの合流組である)に入ってきて、周囲から「おまえも山本薩夫みたいに当たる映画をつくれよ!」と言われていたそうです。今井監督はそういう時代をくぐり抜けて、作品を残してきた。ただ、時代に対する視点も薩夫監督はストレートに出してくるけれど、今井監督はよりデリケートな描き方をしますね。

現在の人が現在の目でとらえるもの


——当時、映画に対する反応はどんなものでしたか?

山本 多喜二を実際に知っている方や熱心な愛読者の方にはあまり評判はよくなかったんじゃないかな。いまでも多喜二が育った小樽や彼が住んでいた荻窪のあたりでは「多喜二祭」が開かれていて、たぶん映画も上映されたことがあったと思いますが、僕は一度も呼ばれていないですから(笑)。やっぱり近しい方や思い入れの深い方には固有のイメージがありますからね、「こんなんじゃない」と感じたのかもしれません。

——脚本の参考となった原作を書かれた手塚英孝さんをはじめ、当時はまだ多喜二本人を知っている方も多数ご存命だった時代ですね。もしかしたら元特高のなかにも映画を観た人間がいたかもしれない。

山本 おそらくいたでしょうね。そういえば、映画のなかで劇作家のふじたあさやさんが演じた特高の主任刑事は戦後順調に出世して、なんと東映に入っているんですよ。

——中川成夫ですね。戦後、東映の取締役興行部長となり、『警視庁物語』シリーズ(1956~64年)などをヒットさせた人物です。公開時のパンフレットでは、かつて東京左翼劇場の一員として弾圧を受け、『警視庁物語』にも出演した俳優の松本克平さんが「Nのその後」という文章を寄せています。「特高課に散々いじめられた私が今や警視庁を代表する捜査第二課長を演じ、私を散々いじめたNが、私の出演している映画を売っていたのである」と。

山本 そう、松本克平さんは当時のことを知る立場から、よく証言されていましたね。

——“赤狩り安倍”と呼ばれた特高部長の安倍源基などはその後内務大臣を務め、A級戦犯として逮捕されながらも岸信介らとともに不起訴となって、戦後政治を牽引しました。映画では多喜二の死後、国家権力が事実を隠蔽・捏造することで責任を免れるところまでが克明に描かれていますね。

山本 そこは今井監督も力を入れたところだったのではないでしょうか。

——数年前にはワーキングプアや派遣労働などの問題に重ね合わせて「蟹工船」を読む若者が増えていることが話題になりましたが、この映画が現代に訴えるものはなんだと思いますか?

山本 「蟹工船」は物語として普遍的な要素を持っていますけれど、小林多喜二という人物については、はたしてどこまでいまの人たちに受け入れられるか正直わからないですね。しょっぱなからあの拷問シーンですから、観る人をえらぶ映画かもしれません。ただ、過ぎ去った時代の話ということではなくて、現在の人たちが現在の感覚で小林多喜二という人物をどうとらえるのか。そのことには興味があります。ぜひその入口として、この映画を観ていただけたらと思いますね。

(2018年5月収録)

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