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『小林多喜二』DVD発売記念 山本圭インタビュー

取材・構成=佐野亨

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映画『小林多喜二』が長らく幻の映画となりながらも、人々の記憶に強く残りつづけたのは、多喜二を演じた山本圭の演技に負うところが大きいだろう。山本圭の小林多喜二は、演技という枠をこえて、彼の俳優としてのパブリックイメージ、身体性と不可分に結びついている。そんな一世一代の役柄について、山本圭さんご本人の話を訊きながら、再考してみたい。


山本圭という俳優のキャリアがつくりあげた小林多喜二像
山本圭に託された“若者たち”の苦悩

映画デビューは1962年、山本薩夫監督の『乳房を抱く娘たち』が1作目ですね。

山本 そうです。俳優座の養成所を卒業して2年目ですね。

貿易自由化が進むなかで農村の共同体を守り抜こうと奮起する若者たちの姿を描いた青春映画ですね。ラストシーンは農民のデモの風景で、60年安保の影響が色濃く感じられます。

山本 そう、まさにそういう時代でしたね。

圭さんの役柄について言えば、この作品から山田太一さん脚本、木下惠介監督の『歌え若人達』(1963年)あたりまでは、純朴でまっすぐな若者という印象が強い。

山本 当時は20代前半で、ほぼ実年齢そのままの役を演じることが多かったですね。木下監督、中村登監督(『鏡の中の裸像』1963年、『結婚式・結婚式』1963年、『二十一歳の父』1964年)、渋谷実監督(『モンローのような女』1964年)、それに篠田正浩監督(『美しさと哀しみと』1965年)と松竹の映画に立てつづけに出演しました。

そのなかでやはり転機となったのはTVの「若者たち」(1966年、フジテレビ)でしょうか。1968年から70年にかけては俳優座によって全3作の映画版(森川時久監督)もつくられました。

山本 安保以降、60年代の映画における若者像は、当時の社会状況や実際の若者たちの姿を反映していたように思います。「若者たち」は作品じたい、そうした時代の流れを象徴するところがありました。

時代と世代を背負った若者の屈折や苦悩が、圭さんが演じる翳りを帯びた青年の姿に託されていたような気がします。そうした役柄のイメージが、やがて『小林多喜二』につながっていったのではないでしょうか。


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体制に虐げられる個人

『小林多喜二』に出演することになったきっかけを教えてください。

山本 『戦争と人間』(1970~73年、山本薩夫監督)の第三部の撮影が終わった直後に、今井正監督から声をかけていただいたんです。

今井監督にとっては念願の企画だったようですが、圭さんはそれまで小林多喜二についてはどんな印象を持っていましたか?

山本 「蟹工船」を読んだくらいで、多喜二本人の人物像などについてはほとんど知りませんでした。じつは『戦争と人間』の撮影で頭を坊主にしていたので、『小林多喜二』では全篇かつらをつけているんですよ。ただ、その当時のかつらはいまのように出来がよくないので、アップで映すと綱ぎ目の網が見えてしまうんです。それで、実際の多喜二は短髪だけれど、映画では前髪をたらして網が見えないように工夫しました。

そうだったんですか。まったく気づきませんでした。

山本 だから、よく言われますが、この映画の多喜二の髪型は決して僕のそのままの髪型ではないんですよ。冒頭、多喜二が特高警察に追われて逃げるシーンの撮影では、思いきり走りまわってかつらがポーンと飛んだりなんかして(笑)。

冒頭、緊迫感のあるアクションシーンから始まって、さらにその後、特高に捕らえられた多喜二が拷問を受けるシーンへとつながりますね。かなり凄惨で強烈な描写ですが……。

山本 あれね、“拷問研究家”という人がいるんですよ。その人が細かく指導しましてね。多喜二の遺体の写真が残っているので、それをもとに木刀で殴られたり錐で刺されたりする様子を再現したんです。「逆さ吊りは5分以上はだめですよ」なんて言われたりしてね。逆さ吊りにされた僕を、丹古母(鬼馬二)さんたち演じる刑事が木刀で殴るわけですが、僕は体に雑誌を巻いてプロテクター代わりにするんです。ところが殴るタイミングによっては体のどの部分に当たるかわからない。雑誌と雑誌の隙間に木刀が入ったときなんか、あまりの痛さでほんとうに叫び声が出ました。さらに引きのショットになると、ごまかしが効かないから、数発はほんとうに殴られるわけです。多喜二は頑強だったけれど、僕なら「なんでも白状する!」と言ってしまうでしょうね(笑)。

『戦争と人間』でも、圭さん演じる左翼青年が特高にリンチされる強烈なシーンがありました。いわば体制から虐げられる個人の象徴のような役どころを立てつづけに演じられたわけですが、その点については当時どう感じていらっしゃいましたか?

山本 どうでしょうねえ。ただ、僕は映画のなかで人を殴った記憶ってあんまりないんですよ。いつもやられるばっかりで(笑)。『皇帝のいない八月』(1978年、山本薩夫監督)ではピストルを手にするけれど、やっぱり撃てないしね。

『新幹線大爆破』(1975年、佐藤純彌監督)でも、逃げているところを刑事に射撃されて、脂汗をかいて苦しんでいる姿がとても印象的でした。圭さんの演技を見ていると、虐げられた者の苦しみが生々しく伝わってくるんです。

山本 なぜかそういう姿が板につく役者になってしまいました(笑)。

僕の世代(1982年生まれ)ですと、TVの「ひとつ屋根の下」(1993年、フジテレビ)あたりで圭さんを初めて認識した人も多いと思います。思いかえしてみると、圭さんはあのドラマでも、権威に抗い貧しい人々と共生する医師を演じていらっしゃいました。やはり一貫した人物像がありますね。

山本 あのドラマは、脚本の野島(伸司)さんが「圭さんの役をメインに次回のシリーズをつくりたい」とおっしゃってくださっていたんですよ。ところが僕のほうがその時期に舞台の予定が入っていて、思うとおりにつくれなかったんです。非常に残念でしたね。

野島伸司さんは1963年生まれなので、若い頃に圭さんの出演した映画を観て影響を受けたのではないでしょうか。野島さんはその後、「未成年」(1995年、TBS)で連合赤軍を思わせる共同体を描いたりしているので、時代に対する意識は明確にあったのではないかと思います。

(2018年5月収録)

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