俺たちの生きた時間



 10代の頃、バイクに興味を持ち始めた時期に先輩の家に行くと様々なバイクのビデオがあってよく見せてもらっていた。そのビデオの中には当時販売されていたたくさんの暴走族のビデオも含まれていた。もちろんVHSのテープである。その中でも10代の私の心に強烈に印象を残した2本の作品があった。ひとつは『ゴッド・スピード・ユー!BLACK EMPEROR』(76年/柳町光男監督)であり、もうひとつは今回発売される『俺たちの生きた時間』(82年/渡辺祥充(義充)監督)である。この2本のドキュメンタリー映画はそのあとに無数に作られることになった暴走族ビデオのさきがけであり、70年代〜80年代のリアルなユースカルチャーをフィルムに収めた貴重な映像作品でもある。(この両作品を発掘、再販してくれたDIGレーベルさん、ありがとうございます!)

 『俺たちの生きた時間』が撮影されたのは1970年代の後半、映画の中でも言及されているが道路交通法が変わって“並んで走っているだけ”でも取り締まりの対象となる警察の対暴走族法とも言える法律が決まり、いよいよ施行されるというタイミングであった。渡辺監督は法律の改正によって週末に多いときで何百台も集まっていたそれまでの暴走族の終焉を肌で感じ、自分もブラックエンペラーとして走っていたその青春の軌跡を当事者の目線でフィルムに収めたいと一念発起し、仲間たちと映画を作り始めたのだという。「非行少年映画隊」と名付けられた映画製作チームのメンバーは渡辺監督と同じように元暴走族であったり鑑別所や少年院帰りのダチで構成されていた。映画の中のナレーションで「暴走族は道交法改正後にゲリラになった」という内容が語られるが「非行少年映画隊」もまたゲリラとなってカメラを担いで路地裏からハイウェイまでを駆け抜けてゆく。頻繁にあらわれる警察に追われながら仲間を逃がすためにパトカーをひきつける役目のケツモチのバイクに並走してカメラで追っていく。それはつまり自分たちもケツモチの一部になっているということだ。それゆえにところどころピントがずれたり画面が乱れたりするのもリアルで迫力が違う。当時は今と違ってスマホなどの小型カメラは存在しないのでパトカーに追われながら重いフィルムのカメラを持って疾走するバイクのホイールとKawasakiと刻印されたZ400FXのエンジンのサイドカバーを地面すれすれで接写するカットなどまさに命がけの撮影だったことは想像に難くない。あらためてこの作品を見返してみると10代の頃の私はたぶんそのガッツに感動して映画で語られるナレーションの如く「バイクのように生きたい」とワケもわからず本気で思っていたことを思い出した。この映画に登場するバイクはカワサキZ400FX、スズキGS400、GSX400F、ヤマハXJ400D、ホンダCB400four、ホークⅡなどの中型排気量がメインで中にはナナハンのカワサキZ2なども混じっている。イノウエのロケットカウルやBEETのアルフィンカバー、ヨシムラの集合管、光るプラグキャップなどいまや旧車乗り垂涎の当時のカスタムパーツも観ることができて資料的にも貴重な作品だ。車もハコスカ、ケンメリ、ジャパンのスカイライン勢やダルマセリカ、マークⅡなど往年の名車たちがオンパレードで登場する。思うにこの時代のバイクや車は戦後に英国車、ドイツ車、アメ車などの模倣から始まった日本のモータリゼーションが追いつけ、追い越せと70年代から80年代にかけてついに世界第一のバイク、車産業に羽ばたいた高度経済成長期のものであり日本を象徴する工業製品だった。それゆえに並行して日本独自の暴走族というスタイルも花開いていったのではないだろうか。映画の前半で渡辺監督は高度経済成長の中で金もうけが第一となった日本が置き去りにしていった街角の吹き溜まりにもカメラを向ける。ホームレス、極道、右翼、疲れたサラリーマン、そして俺たち(暴走族)。渡辺監督は経済の発展とは裏腹に社会がどんどん不自由になっていく状況に危機感を抱いたに違いない。だが前の世代の学生運動のように社会を変革しようとしたわけではない。あくまでも自分たちのやり方で反抗をすることに決めたのだ。ロックシンガーの白竜氏が歌うオープニングトラックのように“夜に吠える”ことを選んだのである。(『俺たちの生きた時間』サウンドトラックLPは名盤!)

 渡辺監督は『俺たちの生きた時間』を撮ったのちにアジアに旅立った。自らの力で資金を稼ぎ仲間と共に84年から87年までアジアを旅しながら16mmフィルムを廻し一旦帰国、その後編集作業のかたわら自費で単身撮影を続け91年に『伝承・Transmission』をクランク・アップ。最終的に映像に残された撮影地はタイ、インド、チベット、ネパールなど4カ国7カ所に渡ったという。だが92年2月に渡辺監督は急性心不全により32歳の若さで天に召されてしまう。そして自室の編集机には編集作業を終えたフィルムだけが残されていたという。その映画『伝承・Transmission』は93年の山形国際ドキュメンタリー映画祭にて招待上映され、その後に映画プロデューサーの貞末麻哉子さんや有志の方々の尽力により上映活動が続けられていた。97年に私は上映会に参加したのだが今回発売される『俺たちの生きた時間』のDVDの特典に『伝承・Transmission』が入っていることでより多くの観客に渡辺監督の作品が目指していた“核”の部分に触れ合うことが出来るのではないかと思う。私にとってそれは『俺たちの生きた時間』で撮られた暗闇の中に灯るバイクの無数のヘッドライトの輝きであり、疾走するZ400FXのシートの上に立ってまるで十字架にかけられたキリストのように手を拡げた少年の姿である。夜から朝へ駆けての撮影でカメラの露出が開きぎみだったのだろうか、それは不思議な光に包まれた映像であった。『伝承・Transmission』もまたそんな光に満ちている作品なのである。

空族 相澤虎之助(映画監督・脚本家)
1974年埼玉生まれ。映像制作集団「空族」に所属。『サウダーヂ』『バンコクナイツ』『典座』など富田克也監督作品の共同脚本を務めている。瀬々敬久監督と共同脚本を務めた『菊とギロチン』で、キネマ旬報ベスト・テン日本映画脚本賞を受賞。

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