『人間狩り』(62年)

  解説・高鳥都(ライター)

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【時効寸前の殺人犯を追う刑事、
         あるいは映画づくりの執念】



 「まるでジャングルだ。獣のようなやつが、みんな勝手な罪を楽しんで犇めき合い、野放しになってる。だが、獣のいるところには狩人もいる。俺がこの手で狩ってやる!」──長門裕之のアップより一転、カメラは刑事ふたりを俯瞰で捉えたロングショットからズームバックしてギラつく太陽へと振り上げられ、宣言どおりのタイトルがギャッと出る。叩きつけるドラム、男女のうめき声、あからさまな不協和音がこれから始まる執念のドラマをもり立てる。
 『人間狩り』(62年)は、悪を憎む刑事が時効寸前の殺人犯を追う日活映画。長門裕之演じる小田切拓次は、そのエキセントリックさから署内でも孤立しており、唯一の理解者は同期の桂木(梅野泰靖)くらい、暴力団のボス・田口(小沢栄太郎)を追い詰めながら証拠不十分や身代わり出頭で何度も苦渋を味わっていた。
 小田切怒りの暴力に「人権蹂躙だ!」と叫びつつ、田口は15年前のタタキ(強盗殺人)を告白する。ただし手を下したのは房井という40がらみの男、しかも時効になっちまってると薄笑い。ところが、あとわずかの猶予があった。「人を殺せば、殺されるんだ。俺がわからせてやる!」──田口検挙に燃える小田切は房井の行方を追って、東京を転々とする。ワケありの恋人・梶本志満(渡辺美佐子)から別れを告げられ、悩み、抗いながら……。

 典型的な“足を使った刑事もの”であり、松本清張の『張込み』『点と線』に代表される社会派推理小説の流れを汲んだストーリーだ。東映の「警視庁物語」シリーズをはじめ刑事映画は当時の一大ジャンル、ロケーションの多用でリアリズムを追求した『人間狩り』は監督の松尾昭典みずから認める代表作となった。蔵原惟繕、神代辰巳とともに松竹京都から日活に転じた松尾は1958年に監督デビュー、さっそく『清水の暴れん坊』(59年)ほか石原裕次郎の主演作も任されており、日活アクションの若き職人として多作を誇っていた。助監督時代はマキノ雅弘らに師事し、マキノの甥である長門裕之とは『ゆがんだ月』(59年)でタッグを組んで高い評価を受けていた。
 脚本の星川清司もまた本作を自薦のトップに挙げており、本編クレジットは「脚本」ながらポスターやプレスなどの各種資料は「原作・脚本」となっている。どういうことか? 映画会社が企画立案して脚本家に発注する通常のプログラムピクチャーと異なり、『人間狩り』は星川みずから映画化のあてもなく執筆したオリジナルシナリオであり、『映画評論』の1960年3月号に発表されたのち、松尾昭典の熱意によって映画化が実現──「自分からやりたいと希望したのはこれが初めてです」と松尾は読売新聞にコメントを残しており、かつて黒澤明の『野良犬』(49年)に感銘を受けた新鋭監督にとって、かくも悩ましくシリアスな刑事ものは願ったりの企画であった。
 「ギリギリの状況に立たされた人間を、ロジカルな構成に支えられた熱っぽい筆致で描き出す作風」(『年鑑代表シナリオ集 1963年版』)と評された星川清司の脚本は刑事と犯人、刑事と恋人……ふたつの軸を並走させながら犯罪への憎悪をたぎらせる主人公の悲惨な過去、そして戦争の影が浮上する。誰しもが抱える倫理と感情のせめぎ合いを折り重ねてゆく。大映の専属脚本家として『九時間の恐怖』(57年)、『手錠』(58年)、『白昼の侵入者』(58年)など限定的サスペンスを得意とした星川の日活初仕事は、山荘における籠城劇『逃亡者』(59年)。奇しくも主演は長門裕之であった。
 増村保造いわく「正真正銘の戦中派、醇乎として醇なる戦中派」。孤独を抱え、まっしぐらな主人公を組み立てる星川は、シナリオのト書きにドラムやトランペットといった楽器を指定するクセがあり、『人間狩り』においては「叫びにちかい男女の異常な笑い」というタイトルバックの一文に鏑木創の音楽がきっきり呼応した。当初のシナリオは盛り場の路地裏のただれた点描から始まっていたが、映画化に向けた決定稿では裁判所における理不尽な判決に。小田切刑事のキャラクターと怒りがストレートに伝わる出だしへと変更された。

 品川、青砥、赤羽、町屋──各地のロケーションが、いまや貴重な昭和30年代の東京を映し出す。紆余曲折の展開に街の看板や踏切といった風景がモノクロームに犇めき、まだ見ぬ犯人の“戦後”の足取り、生きるすべがあらわになってゆく。
 かつてヤクザの情婦であった志満が小田切に別れを切り出す場所は渋谷東急文化会館の屋上、いまや現存しない建物からの突き放すような俯瞰が多用され、男女とともに都市の日常を入れ込む。切り返しのローアングルにはプラネタリウムがそびえ、なんとメリハリが効いている。ふたりの関係性などウィリアム・ワイラーの映画『探偵物語』(51年)を思わせる部分も。
 かくてタイムリミットが迫るなか、刑事は犯人へとたどり着く。15年前の強盗殺人犯・房井末吉(大坂志郎)は靴直しの職人であり、病床の妻と連れ子ふたりと長屋で慎ましく暮らしていた。近所の評判も上々、もう出てくるなり貧乏と善良を絵に描いたような大坂志郎の存在感よ。「正直言って、ぼくは気が進みません」──若手の湊刑事(高山秀雄)に逮捕をためらわせる説得力満点だが、もちろん小田切は宥(ゆる)さない。張り込み先の喫茶店、桂木刑事が志満を連れてきて、彼女の大阪行きを引き止めさせようとするが、小田切は……。
 いっぽう捜査の手が伸びていることに気づいた房井は、家族に過去を告白。みな衝撃を受ける。息子は上司の娘との縁談が進んでいた。戦後のどさくさ、幼い子を栄養失調から救いたかった……どんな理由があるにせよ、房井が老婆を殺してしまう回想シーンもきっちり見せて、安易な同情には走らせない。過去の過ちにどう接するべきか、大なり小なり誰しも抱える普遍性をもって迫り、まだ40代になったばかりの大坂志郎が老け役で善悪のあわいを魅せつける。
 老け役といえば、房井の行方を知る老婆として北林谷栄が登場。熱海の旅館で酔っぱらうコメディリリーフ的な役どころであり、先にDIGレーベルからソフト化された『七人の刑事 終着駅の女』(65年)との見比べも一興だ。北林谷栄に桂木役の梅野泰靖、湊役の高山秀雄、署長の嵯峨善兵と劇団民藝の俳優陣が脇を支え、情念たっぷり渡辺美佐子が偏執的主人公に向かい合う。それにつけても長門裕之という俳優の硬軟なんでも対応できる地べたの説得力よ。捜査と恋愛の両面をアシストする梅野泰靖も絶妙で、一服の清涼剤のよう。

 歩いて歩いて各地をめぐる前半を経て、中盤以降の舞台は房井が暮らす長屋周辺に絞られる。京成線町屋駅のガード下近く、商店街からL字に曲がった横丁の長屋へと至る空間……なんとこの一帯は実際のロケーションではなく、日活撮影所に組まれたセットである。本作の美術デザイナー・中村公彦が著書『映画美術に賭けた男』(草思社)でその舞台裏を明かしており、「おそらくセットと気づく人はいないでしょう」と胸を張るのも納得だ。ドブ川沿いの路地、電車が走るガード下の遠景まで、とても作りものには見えないが、撮影所の倉庫裏にあるドブ川を生かして“下町”を造形した。狭い室内まで響く生活音を加えた録音技師・橋本文雄のダビング術もリアリティを底上げする。
 「このガード下に隣接する雑多で貧しい地区のトタンやセメント瓦の屋根の上から俯瞰したまま、路地から横移動してつぎの路地(ここにドブ川があり、大坂志郎が住んでいる)へと流れるキャメラの動きは、この地域の貧しく雑多な状況を説明するだけではなく、キャメラが路地から路地へと逃げていくという動きのなかに大坂志郎の葛藤と迷いを表現していて、ラストシーンと並んで圧巻のシーンでした」(中村公彦『映画美術に賭けた男』)
 ──そう美術デザイナーが語るように、クレーンを駆使した大がかりな横移動ショットは『人間狩り』の白眉であり、セットのクオリティだけでなく撮影・岩佐一泉、照明・安藤真之助による協業が松尾昭典渾身の演出を支える。これぞ映画、初見で「あっ!」と驚かされた社会派リアリズムからの飛躍、“刑事もの”の定番である俯瞰ショットは本作においてもロケの折々に披露されてきたが、その集大成がセットならではの表現技法で刑事と犯人のサスペンスに融合した。

 さらに終盤、小田切と志満の共依存的な抱擁では斜めに歪んだアングルと逆光のライティングが路地の奥行きを際立たせ、そこに房井がやって来る……。追う小田切、追われる房井、父の逃亡を助けたい娘(中原早苗)と志満が見守るなか駅のホームで犯人と刑事はついに対峙を果たす。
 『人間狩り』という映画を決定づけた衝撃のラストは伏せておくが、じつは星川清司が書いた当初のシナリオは完成版とは異なるエンディングを迎えている。まったく正反対と言っていい展開だが、準備稿から決定稿にいたるプロセスで大きく変更された。松尾昭典×長門裕之の前作『ゆがんだ月』のラストが日活サイドの意向で修正されたという例もあり、この改訂が会社の要請か、脚本家または監督の意思によるものかは不明だが、かくのごとき決着に。
 その是非は見た人それぞれに委ねよう。なにを宥し、なにを宥さないか──。映画化のきっかけとなった初稿シナリオは『映画評論』1960年3月号に掲載されているが、同誌は国立国会図書館のデジタル化資料送信サービスにふくまれており、いまや足を使わず自宅のパソコンでも閲覧可となっている。クライマックスだけでなく、あれこれ完成版との違いを捜索してみるのもいいだろう。

 『人間狩り』の撮影は1961年2月、約1ヶ月という通常の作品より恵まれたスケジュールのもと行われたが、完成後しばらくお蔵入りに。営業上の理由で、およそ1年後の62年1月23日に公開された(併映は小沢昭一の喜劇『猫が変じて虎になる』)。また、チーフ助監督を務めた前田満州夫は『殺人者を追え』(62年)で一本立ち、これまた松本清張の『張込み』を思わせる刑事ものであり、DIGレーベルからのDVD化が決まっている(2022年10月5日発売予定)。
 1962年に日活を退社した長門裕之は、やがて妻の南田洋子と「人間プロダクション」を設立。テレビ映画や劇映画のプロデュースに挑戦しながら、なんでもござれのアルチザン俳優としてあらゆるジャンルに出演して人間プロを支えた。刑事もハマり役のひとつ、東映の『特捜最前線』では“ガモさん”こと蒲生警視としてセミレギュラーに。第218話「窓際警視が愛した女教師!」では床に這いつくばり、マッチ箱のタテヨコから人間の多面性を熱っぽく語った。

 松尾昭典は石原裕次郎や小林旭、高橋英樹のアクション映画を次々と演出し、任侠もので星川清司とのコンビも継続、日活がロマンポルノに転じた70年代初頭からはテレビに活躍の地を移す。早撮りの名匠として各社に呼ばれ、東京12チャンネル(現・テレビ東京)の『大江戸捜査網』では──これまた星川清司シナリオによる──第1話からイキのいい活劇を披露、映画『隠密同心 大江戸捜査網』(78年)も託された。現代劇では松本清張原作の2時間ドラマを連発。火曜サスペンス劇場『知られざる動機』(83年)は淫蕩な母と潔癖症の娘の愛憎を描いた傑作であり、同じく火サス『坂道の家』(83年)では長門裕之が若い女に溺れる中年に。世間を騒がせた『洋子へ 長門裕之の愛の落書集』の3年前だが、さすが熟練のエロ職人ぶりだ。ときに『人間狩り』の粘っこさを彷彿させる松尾演出は、原作者の清張さえ納得させるクオリティであった。
 人間の孤独を描き続けた星川清司は、大映の『新選組始末記』(63年)をきっかけに時代劇の執筆が多くなり、市川雷蔵の「眠狂四郎」シリーズが代表作に。1971年、「菩薩のわらい」で作家デビューして小説の道を歩もうとした矢先、思わぬ負債を抱えてしまいテレビの時代劇を書き続ける。ふたたび作家業を再開して間もなく、89年に『小伝抄』で第102回直木賞を受賞。1926年生まれ、63歳での最年長受賞者(当時)となって、ようやく念願を叶えたのち時代小説を精力的に手がけ、2008年に死去。享年86、じつは1921年生まれであることが(その死から2年後に訃報とともに)公表されて、ふたたび直木賞の最年長受賞者に。さかのぼれば本格的な脚本家デビューは30代半ば、戦中戦後と長く病床にあっての死線を越えて“書く”という人生を選んだ遅咲きの才能であり、年齢サバ読みの理由は「寅年(26年生まれ)は運が強い」と報じられた。

 星川清司、松尾昭典、長門裕之──すでにみな故人だが、いよいよ再評価の高まりに応じて初ソフト化が実現。そのフィルモグラフィから多作の職人と目されがちな脚本家と監督の自主性が生み出した『人間狩り』は、今後より広がりを見せるに違いない。本作でのステップアップを経て星川は姫島リンチ殺人事件をもとにしたオリジナルシナリオ「暴動」を執筆、大映の増村保造によって映画化が予定されたが、残念ながら不成立となった。作家発企画の難しさ、いかに『人間狩り』が幸福なケースだったかが伝わるだろうか。最後に星川が『映画評論』に寄せたシナリオのあとがきを引用して、本稿の終わりとしたい。
 「二年ほどのある晩、古新聞を見たことがこのシナリオを書く動機になった。犯人が時効寸前に捕われたという、小さな記事。その男は違っていたが、もし、現在、犯人が立派に更生していたら、双方つらい話だと思った。そして、人間悪を憎みすぎるのも一つの悪だし、僕たちの生活が平和であるためのカギは、宥すこと。そこに焦点を置いた」






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