笹沢左保の同名小説を映画化した日活ロマンポルノの一作『悪魔の部屋』。自身の制作会社フィルムワーカーズの設立など、さまざまな混乱のなかで制作された曽根中生監督の異色作について、ワーカーズ設立に立ち会った鵜飼邦彦さんに当時の制作背景を含め話を訊いた。
——『悪魔の部屋』の映画化の話はどのようなきっかけで始まったのですか?
鵜飼 『悪魔の部屋』の企画は、もともと日活ではなく松竹で進んでいたんです。曽根さんは少しまえに松竹で『博多っ子純情』(78)を撮っていたので、その流れですね。曽根さん自身の企画ではなく、笹沢左保さんの原作を映画化したいという話がまずあって、曽根さんに依頼が来た。当初は有名な女優さんを使い、それなりの予算をかけて撮影する予定でしたが、クランクインの直前に金銭トラブルが起きて、中止になってしまったんですよ。それで曽根さんが落ち込んでいたところへ、「お金を出すよ」というスポンサーが現れた。そこから話が膨らんで、じゃあいっそのこと会社もつくろう、ということになり、僕のところにも「一緒にやらないか」と曽根さんから誘いの電話がかかってきた。ところが、僕から見ると、お金を出してくれたスポンサーの人——建築会社の二代目社長かなんかやってた人ですが——はなんだか怪しげな人物だし、周りにいるほかの知人も「やめたほうがいいんじゃない?」って引き留めたんです。そうしたら案の定、新宿に事務所を借りたところで話が進まなくなってしまった。頭金だけはそのスポンサーが払ってくれていたんですけどね。それでどうしようかと考えた結果、せっかく事務所があるわけだから、やっぱりきっちり会社という形態でやろう、ということになった。監督としては曽根さんと渡辺護さんの2人、プロデューサーとして西村隆平さん、さらに興行畑の人たちにも協力してもらおうと考えて、文芸坐の鈴木昭栄さん、並木座の小泉作一さん、上板東映の小林紘さんに僕から声をかけました。だから、もとをただせば、『悪魔の部屋』の松竹での映画化企画が流れたことが、その後のフィルムワーカーズの設立につながっているんですね。
——今回、DIGレーベルから『悪魔の部屋』と『“BLOW THE NIGHT!” 夜をぶっとばせ』(83)がほぼ同時にDVDリリースされますが、曽根監督は『夜をぶっとばせ』を「最大の自信作」と語っているのに対して、『悪魔の部屋』のほうはかなり消化不良だったようですね。自伝(『人は名のみの罪の深さよ』文遊社)でも「もっともっと挑戦すべき素材だった」「悔しい映画」と語っておられます。
鵜飼 ああ、そうなんですか。この2本はだいたい同時期に制作しているんですよ。フィルムワーカーズを立ち上げて、『夜をぶっとばせ』のシナリオを書いているあいだに、日活で『悪魔の部屋』がクランクインし、曽根さんはそちらの現場にかかりっきりになってしまった。実は完成した映画では使われていないんですが、『夜をぶっとばせ』に主演した(高田)奈美江ちゃんは『悪魔の部屋』にもちょこっとエキストラ出演しているんです。撮影の見学に連れていったら、急きょ、キャンペーンガールみたいな役で出ることになって。結構勘がよくて感心したのを憶えています。
●密室劇を撮るための工夫
——鵜飼さんは『悪魔の部屋』には直接スタッフとして関わっているわけではない?
鵜飼 関わってはいませんが、『夜をぶっとばせ』の準備を同時に進めていたから、曽根さんのスケジュール管理をしたり、『悪魔の部屋』の現場とは密に連絡を取り合っていましたね。
——笹沢左保さんの原作小説が密室劇ということもあって、映画化に際してはさまざまな工夫が求められる題材ではないかと思うのですが。
鵜飼 そうですね。映画では、密室劇を基本としつつ、合間に実景を挟み込んだり回想を入れたりして変化をつけていて、そういうところはさすがに巧いなあと思います。ただ、曽根さんの映画のなかでは、いま観るとすごくオーソドックスな作品ではありますね。
——撮影は特に支障もなく進んだのでしょうか?
鵜飼 曽根さんの現場はスケジュールが押したり大変なことが多かったけど、この映画に関しては特別困難はなかったように思います。あ……でも、ひとつ印象に残っていることがありました。ジョニー大倉の母親が内田良平に凌辱される回想場面は、完成版だとスチルショットになっていますよね。あれは現場ではふつうに動画で撮っているんです。それを編集の段階であのような静止画にした。曽根さんはそういう変わった演出が好きですからね。で、あの母親役のYさんは「誰か脱げる人を探してほしい」と言われて僕がキャスティングした人で、当時雑誌のグラビアなどでそれなりに売れていたモデルさんなんですよ。日本人離れしたカッコイイ女の子で、曽根さんも気に入ってね。それで撮影後、彼女がある俳優と意気投合して、そのままホテルにしけ込んだらしいんだけど、相手の俳優が脳梗塞を起こして倒れてしまった。それで夜中に僕のところに電話がかかってきたんです。すぐに救急車を手配して、とりあえず大事には至らなかったけど、そのあとプロダクションに連絡して、マスコミにバレないよう揉み消して(笑)。あれは大変でしたね。
——『悪魔の部屋』はやはり主演の中村れい子さんの存在感が非常に印象的です。彼女は『博多っ子純情』でデビューして、引き続き曽根監督に起用された形ですね。
鵜飼 ええ、『博多っ子純情』のあとに若松孝二監督の『水のないプール』(82)に出演して、注目を集めていました。相手役のジョニー大倉もこのまえに『遠雷』(81、根岸吉太郎監督)で高い評価を受けていて、二人とも脂がのっていた時期でしたね。
●80年代の閉塞感
——1970年代の日活ロマンポルノは神代辰巳監督、小沼勝監督、田中登監督らが名作を連打していますが、80年代に入ると微妙に空気感が変わっていきますね。
鵜飼 映画のつくりは、70年代のほうが圧倒的にアヴァンギャルドで面白かったですね。曽根さんにかぎらず、田中(登)さんにしても小沼(勝)さんにしても、毎回なにが出てくるかわからないというハチャメチャさがありましたから。
——ただ、個人的には、池田敏春監督の『天使のはらわた 赤い淫画』(1981年)、黒沢直輔監督の『看護婦日記 獣じみた午後』(1982年)、中原俊監督の『犯され志願』(1982年)、そして最末期につくられた斉藤水丸(斉藤信幸)監督の『母娘監禁 牝』(1987年)など、80年代ならではの閉塞感を切り取ろうとした野心作も少なくはなかったように思います。『悪魔の部屋』もそういう意味で、曽根さんの代表作といわれる70年代の一連の作品とは違った味わいがあると思うのですが……。
鵜飼 『悪魔の部屋』と『夜をぶっとばせ』はそれぞれまったくテイストが違うけど、どちらも曽根さんの作品としては異色の部類に入るかもしれませんね。
80年代の日活ロマンポルノは、70年代にくらべると全体的にきっちり作品として仕上げるというか、ドラマを語ることを重視する方向に変わっていったような気がします。『天使のはらわた』は『赤い教室』を曽根さんが撮っていますが、(原作・脚本の)石井隆さんとはずいぶんぶつかったようですね。ただ、結果的に『赤い教室』は素晴らしい作品になったし、あれがあったから石井さんがその後監督として活躍し始めることにもつながったのかなと思います。
曽根さんはこのあと、日活ロマンポルノでは『夕ぐれ族』(1984年)、『刺青 IREZUMI』(1984年)、『不倫』(1986年)、それからフィルムワーカーズで制作した『白昼の女狩り』(1984年)と4本を監督しますが、『白昼の女狩り』は上映が中止されるなど、なかなか思うように作品が撮れなくなり、やがて姿を消してしまった。そういう意味では80年代のこの時期に撮った『悪魔の部屋』と『夜をぶっとばせ』は、時代が変わっていく節目の重要な作品といえるかもしれません。
(2018年11月収録)