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DIGS-1026
牧野(まぎの)物語・養蚕編+牧野(まぎの)物語・峠(2in1)
●『牧野物語・養蚕編』
山形県牧野村へ移住した小川プロダクションスタッフは、木村サトさんを「養蚕の師匠」と呼び葉っぱ選びから繭をつくるまでの蚕の飼育を一切の仕草を省くことなく丁寧に教わる。小川紳介は、執拗に養蚕とは何か、養蚕労働、農について・・・それらを深く追うことはなく、じっとそれらを見つめ続ける。人の言葉を聞かせ、見つめることによって見つめる・・・映画の中の映画が喜々として躍動する瞬間・映画を収穫するための作業が芳醇な傑作。原正が8ミリで記録した映像を田村正毅が16ミリにブローアップした。
●『牧野物語・峠』
本編にて「牧野物語 その2」と名されたように「養蚕編」に続く牧野を舞台にした作品。山形で農業を営みながら詩人としても著名な真壁仁の詩碑「峠」が蔵王に建立された。真壁の詩人としての強い意志と農への思い、記憶、風景を小川紳介の一途な愛が捉えた短尺ながら宝石のような傑作。
「これからの仕事(映画)は、事件があるから撮る、というのを止めようよ。牧野はニッポンの平均的なムラだろう。際立った事件もない。でも、このムラにカメラが入ったことが、事件なんだ」(牧野で小川紳介がスタッフへ繰り返し言った言葉より)
【牧野物語・養蚕編-公開当時のスタッフの言葉-】
五十二歳になる木村サトさんは、小川プロの養蚕の先生。サトさんは、かつて実家の母親から学んだ技術を、私たちに伝授してくれる。サトさんは、自分の世代で牧野から蚕が姿を消すだろう、と考えている。若い継承者がいないから。でも、寂しさに負ける事なく、自分の蚕をみる眼の確かさに自信と誇りを持って蚕を飼い続ける。
【牧野物語・峠-公開当時のスタッフの言葉-】
私たちは、真壁さんに、敬愛の念を込めて、また、真壁さんを知り、あるいは、真壁さんの詩、文化活動に接した人々に、この映画をおくります。
[スタッフ]
◎『牧野物語・養蚕編』
監督:小川紳介/製作:伏屋博雄・飯塚俊男
撮影:原正(小川プロ撮影部)/16ミリ拡大撮影:田村正毅/録音:瓜生敏彦
◎『牧野物語・峠』
監督:小川紳介/製作:伏屋博雄・飯塚俊男/撮影:奥村祐治
録音:瓜生敏彦/出演:真壁仁
推薦コメント〉
あの男は満員の痴漢電車の乗客だった。車内エキストラのくせに「この後、撮影をを見学してもいいですか?」と終日撮影にまとわりつき、いつの間にか獅子プロにもぐり込んでいた。普段はマジメで寡黙・が・酒が入ると訳のわからぬ大法螺吹きに大変身、失敗多数。つくづくアウトプット下手なれど、思いを打ちまけたデビュー作で見事に意気衝天!
観る側にもエネルギーを求める佐藤寿保映画の初号試写で感心したことを思い出した。
滝田洋二郎(映画監督)
20才代の頃、佐藤寿保さんの映画の助監督をつとめた。ツラかったが、なぜか嫌な思い出じゃない。どちらかというと自慢したい。佐藤寿保さんは変わらない。「止まっているってことと、変わらないってことは違うんだ」寿保さんのことを考えるといつも故PANTAさんの言葉を思い出す。羨ましいと思う。その原点である映画が新たに陽の目を見る。祝福です!
瀬々敬久(映画監督)
ピンク映画はセックスではなく不能と鬱屈を描くものであり、鬱屈と暴力は若者の特権だ。『激愛!ロリータ密猟』の誰よりも深い絶望は、いまなお我らの胸をかきむしる。
柳下毅一郎(映画評論家/翻訳家)
嫌な気持ちにさせてくれるディテール。しかし気づくとスッキリさせてくれる。ざっくりと言えば「ヒドイ」映画なのだが、この『激愛!ロリー密猟』の場合それが最上級の褒め言葉にいつしか化けてしまう、とにかくヒドイ映画。必見!
根本敬(特殊漫画家)
この映画を観て映画制作を志したと云っても過言ではない名作中の名作。
小林良二(映画プロデューサー)
コンプラ遵守、ジェンダー平等、ハードコア・ポリコレな21世紀の現代に、時空の裂け目が生じ、20世紀の闇から堕ちてきたピンク色の歪な残像!!!!! こんな奇想の封印を解くなんて、不適切にもほどがある!!!!!!!
宇川直宏(“現在”美術家/DOMMUNE主宰)
陰鬱とした狂気が棲む地下の部屋。新宿の強烈な眩しさ。赤いハイヒールに流れる血。シャッターを切り自ら脱ぐ伊藤清美さんに全身をぶち抜かれた。この作品を見たばっかりに、佐藤寿保作品を求めいまだ亡霊のように彷徨い続けている。
遠藤倫子 (映画zine ORGARM発行人)
私には「死んだら棺桶に入れるものリスト」がある。
そこにこの映画のタイトルを記す夢が叶った。
だからもう、いつ死んでもいい。
シブヤメグミ (バー浮かぶ・二代目店主)
淫乱と暴力と初期衝動!
ノイズやパンク、ロックに造詣が深いところにも衝撃を受けました。
そんな寿保監督のデビュー作が家で観られるなんて!
中原昌也(ミュージシャン/文筆家/映画評論家)
孤独で混乱した精神の前に、無邪気な人々が行き交う雑踏のどれほど残酷なことか。1985年、バブル直前の新宿に、決して救われ得ない2つの魂が交錯するとき、血と淫欲が〈イノセンス〉を塗り潰す! 身を立て! 名をあげ! やよ励めよ! 真の解放はいつも、血まみれのイニシエーションの先にしか残されていないのだから。
髙橋ヨシキ(アートディレクター/映画評論家/サタニスト)
私が20歳だった頃の新宿が舞台。毎日のように新宿にいた頃。観ているうちに当時の頭の中をのぞいているような気分になった。不安と根拠のない自信のカオス。ラスト近くのヒロインが不思議な美しさだった。
古市コータロー(ミュージシャン)
かつてピンク映画館なるものが街中にあった頃、青少年たちは自分の内に秘めた性衝動を、暴力を、妄想を、青暗いスクリーンの中に投影させていた。
じっとり湿ったシートを、男女のまぐわいを照らし出すぼんやりとした映写機の明かりを、そのやりきれなさを。
すべて爆発させるために、パンクするしかなかった。
映画館を、新宿を、狂った触覚がパンクする。
松永天馬(ミュージシャン アーバンギャルド/松永天馬のA研!)
薄暗闇が終始美しい映画だった。裸電球と炬燵の光に晒される素肌と陰影。ココロとカラダを温めあうのが下手くそ過ぎる悲しい人間たち。誰もいない夜明けの新宿通りのカットはハタチの時の自分の視線ではないかと錯覚した。
宙也(ミュージシャン アレルギー/De-LAX/LOOPUS)
デビュー作にして、すでに寿保度数120%の傑作! 瑞々しいボーイミーツガールの物語を、問答無用の過激な暴力と流れ落ちる血の鮮烈さが彩る。ゲリラ撮影の80年代新宿の、人が溢れながらも冷ややかな光景が最高!
真魚八重子(映画評論家)