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FAKE  
ディレクターズ・カット版

PADレーベル第一弾。「ゴーストライター騒動」で世間を賑わせた佐村河内守氏を追った話題騒然のドキュメンタリー映画。大ヒットロングラン公開となった衝撃作が劇場公開版に未公開シーンを追加した「ディレクターズ・カット版」となって遂にDVD化! 発売日:2017年3月2日
©「Fake」製作委員会

予告編はこちらをご覧ください 予告編


製作年度:2016年/本編109分+α(予定)
片面2層 / 画面サイズ16:9ビスタサイズ / 音声:リニアPCMステレオ2ch
リージョン2(日本)/ カラー / DVD1枚組
発売元:株式会社ディメンション、発売協力:ピカンテサーカス、販売元:ハピネット

【特典】
★セル初回プレス盤のみアウタースリーブケース入り
★セル用のみ劇場用パンフレット縮尺再編集版封入
・1.聴覚障がい者向け日本語字幕(セル・レンタル)
・2.英語字幕(セル・レンタル)


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無断転載禁止 ©「Fake」製作委員会






【解説】

Fake/[féɪk]……偽造する。見せかける。いんちき。虚報。
虚偽とは?真実とは?あなたは、何を信じますか?誰を信じますか?
これは、ふたりの物語

『A』『A2』以来実に15年ぶりの森達也監督作。佐村河内守氏の自宅でカメラを廻し、その素顔に迫る。取材の申し込みに来るメディア関係者たち、ことの真偽を取材に来る外国人ジャーナリスト…。市場原理によってメディアは社会の合わせ鏡となる。ならばこの「ゴーストライター騒動」は、社会全体が安易な二極化を求めていることの徴候と見ることもできる。 はたして何が本当なのか? 誰が、誰を騙しているのか?
映画は、この社会に瀰漫する時代の病をあぶりだしながら、衝撃のラストへとなだれ込む。
FAKE(虚) とFAME(名声)の狭間には・・・ 

■佐村河内守氏をめぐる騒動について
聴覚障害をもちながら、「鬼武者」などのゲーム音楽や『交響曲第1番《HIROSHIMA》』を発表し、「現代のベートーベン」とまで称賛された佐村河内守氏。しかし「週刊文春」で音楽家の新垣隆氏が佐村河内氏との関係を告白、掲載翌日の会見で佐村河内氏のゴーストライターとして18年間にわたり作曲をしていたこと、佐村河内氏が楽譜を書けないこと、耳は聞こえており、通常の会話でやり取りしていたと語った。いっぽう、佐村河内氏は、主要な楽曲が自身だけの作曲ではないことを代理人を通じて公表し、後の会見でゴーストライター騒動を謝罪。しかし、新垣氏に対しては名誉棄損で訴える可能性があると語った。そして、その後はメディア出演を断り、沈黙を続けている。

■『FAKE』DVDがリリースされます。 森達也
現代は情報化社会だと多くの人が言う。あらゆる事象や事件や感情が、文字や映像などの情報に加工されながら流通する。その際に重要なことは、端数を切り捨ててわかりやすくするということだ。なぜなら端数に多くの人は興味を示さない。わかりづらければ他の商品に目を向ける。
こうしてグラデーションは捨象され、グレイは白か黒に強調され、事象や事件と感情はわかりやすく四捨五入されながら単純化されて、商品として消費される。
これに正面から抗うつもりはない。本を書いたり映像を撮ったりしている僕も、結局はこの構造から逃れられない。でも時おり思う。これで本当によいのだろうか。大切なことが抜け落ちていないだろうか。端数の領域にある小さな声や吐息を忘れてよいのだろうか。
発達したメディアは競争原理に背中を押されながら、世界を矮小化する。でも世界は僕たちが思うより、はるかに多面的で多層的で多重的だ。つまり豊かなのだ。それに気づくだけで、僕たちはもっと優しくなれるはずだ。

[スタッフ]
監督・撮影:森 達也
プロデューサー:橋本佳子
撮影:山崎 裕
編集:鈴尾啓太
制作:ドキュメンタリージャパン
製作:「Fake」製作委員会

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推薦コメント〉

 あの男は満員の痴漢電車の乗客だった。車内エキストラのくせに「この後、撮影をを見学してもいいですか?」と終日撮影にまとわりつき、いつの間にか獅子プロにもぐり込んでいた。普段はマジメで寡黙・が・酒が入ると訳のわからぬ大法螺吹きに大変身、失敗多数。つくづくアウトプット下手なれど、思いを打ちまけたデビュー作で見事に意気衝天!
観る側にもエネルギーを求める佐藤寿保映画の初号試写で感心したことを思い出した。
滝田洋二郎(映画監督)

 20才代の頃、佐藤寿保さんの映画の助監督をつとめた。ツラかったが、なぜか嫌な思い出じゃない。どちらかというと自慢したい。佐藤寿保さんは変わらない。「止まっているってことと、変わらないってことは違うんだ」寿保さんのことを考えるといつも故PANTAさんの言葉を思い出す。羨ましいと思う。その原点である映画が新たに陽の目を見る。祝福です!
瀬々敬久(映画監督)

 ピンク映画はセックスではなく不能と鬱屈を描くものであり、鬱屈と暴力は若者の特権だ。『激愛!ロリータ密猟』の誰よりも深い絶望は、いまなお我らの胸をかきむしる。
柳下毅一郎(映画評論家/翻訳家)

 嫌な気持ちにさせてくれるディテール。しかし気づくとスッキリさせてくれる。ざっくりと言えば「ヒドイ」映画なのだが、この『激愛!ロリー密猟』の場合それが最上級の褒め言葉にいつしか化けてしまう、とにかくヒドイ映画。必見!
根本敬(特殊漫画家)

 この映画を観て映画制作を志したと云っても過言ではない名作中の名作。
小林良二(映画プロデューサー)

 コンプラ遵守、ジェンダー平等、ハードコア・ポリコレな21世紀の現代に、時空の裂け目が生じ、20世紀の闇から堕ちてきたピンク色の歪な残像!!!!! こんな奇想の封印を解くなんて、不適切にもほどがある!!!!!!!
宇川直宏(“現在”美術家/DOMMUNE主宰)

 陰鬱とした狂気が棲む地下の部屋。新宿の強烈な眩しさ。赤いハイヒールに流れる血。シャッターを切り自ら脱ぐ伊藤清美さんに全身をぶち抜かれた。この作品を見たばっかりに、佐藤寿保作品を求めいまだ亡霊のように彷徨い続けている。
遠藤倫子 (映画zine ORGARM発行人)

 私には「死んだら棺桶に入れるものリスト」がある。
そこにこの映画のタイトルを記す夢が叶った。
だからもう、いつ死んでもいい。
シブヤメグミ (バー浮かぶ・二代目店主)

 淫乱と暴力と初期衝動!
 ノイズやパンク、ロックに造詣が深いところにも衝撃を受けました。
そんな寿保監督のデビュー作が家で観られるなんて!
中原昌也(ミュージシャン/文筆家/映画評論家)

 孤独で混乱した精神の前に、無邪気な人々が行き交う雑踏のどれほど残酷なことか。1985年、バブル直前の新宿に、決して救われ得ない2つの魂が交錯するとき、血と淫欲が〈イノセンス〉を塗り潰す! 身を立て! 名をあげ! やよ励めよ! 真の解放はいつも、血まみれのイニシエーションの先にしか残されていないのだから。
髙橋ヨシキ(アートディレクター/映画評論家/サタニスト)

 私が20歳だった頃の新宿が舞台。毎日のように新宿にいた頃。観ているうちに当時の頭の中をのぞいているような気分になった。不安と根拠のない自信のカオス。ラスト近くのヒロインが不思議な美しさだった。
古市コータロー(ミュージシャン)

 かつてピンク映画館なるものが街中にあった頃、青少年たちは自分の内に秘めた性衝動を、暴力を、妄想を、青暗いスクリーンの中に投影させていた。
 じっとり湿ったシートを、男女のまぐわいを照らし出すぼんやりとした映写機の明かりを、そのやりきれなさを。
 すべて爆発させるために、パンクするしかなかった。
 映画館を、新宿を、狂った触覚がパンクする。
松永天馬(ミュージシャン アーバンギャルド/松永天馬のA研!)

 薄暗闇が終始美しい映画だった。裸電球と炬燵の光に晒される素肌と陰影。ココロとカラダを温めあうのが下手くそ過ぎる悲しい人間たち。誰もいない夜明けの新宿通りのカットはハタチの時の自分の視線ではないかと錯覚した。
宙也(ミュージシャン アレルギー/De-LAX/LOOPUS)

 デビュー作にして、すでに寿保度数120%の傑作! 瑞々しいボーイミーツガールの物語を、問答無用の過激な暴力と流れ落ちる血の鮮烈さが彩る。ゲリラ撮影の80年代新宿の、人が溢れながらも冷ややかな光景が最高!
真魚八重子(映画評論家)